『バビロンの陽光』 バビロンの息子ではない理由

 マンガ『日本人の知らない日本語』で、中東から来た女性が日本人教師に話しかける場面がある。
 「日本は街がキレイでいいですね。」
 「へ?古い建物を大事にしないし、電信柱は乱立してるし、都会はキレイとは言い難いのでは…」
 「いえいえ、私の国に比べたらずっとキレイです。だってビルに穴があいてない。」
 彼女にとって、どこにも爆撃の跡がない日本の街はとてもキレイなのだ。

 2003年、フセイン政権崩壊から3週間後のイラクの街は、そこかしこでクルマが炎上し、多くの建物が瓦礫と化している。
 『バビロンの陽光』は、そんなイラクを舞台に、戦地に出向いたまま12年も戻らない父を捜すクルド人の少年と祖母の旅を描く。

 イラクには映画産業といえるものがない。モハメド・アルダラジー監督が公式サイトのインタビューで語るところによれば、2003年以降に作られた映画はわずかに3本だけだという。
 映画の価値や魅力はその作品ごとに異なるが、『バビロンの陽光』の場合は、それが作られたこと、上映されたこと、観られたことに価値があろう。映画を作るための機材も人材もない中で、イラクから映画を発信し、イラクの人々の姿を伝えることに、ずっしりとした重みがある。


 公式サイトによれば、イラクでは過去40年間で150万人以上が行方不明となり、300の集団墓地から何十万もの身元不明遺体が発見されているという。
 私は当初、セリフに出てくる「集団墓地」が何のことやら判らなかった。
 しかし、やがて観客は否応なしにその実態を目にすることになる。墓地としての体裁も何もない荒れ地で、地面を掘り起こすと出るわ出るわ何百、何千ものされこうべが現れる。

 この映画はフィクションであり、登場人物は脚本に書かれたセリフを口にしているのだが、にもかかわらず感じられるのは、この国の現実を伝えたいという作り手の思いである。
 主役の少年と老婆も一般人をキャスティングしたという。とくに老婆役には、実際にその役のような経験を持っている人を探したそうだ。20年ものあいだ夫を捜し続けた彼女の実体験は、あるいは映画のストーリー以上に悲惨である。

 モハメド・アルダラジー監督は云う。
 「この作品は私や私達スタッフにとって、単なる映画ではないのです。私たちの現実であり、私の愛する人々の叫びなのです。」


 本作の英題は『Son of Babylon(バビロンの息子)』である。
 その名のとおり、これは息子を捜す母の物語であり、父を捜す息子の物語だ。
 また、劇中でたびたび触れられるバビロンの空中庭園の伝説と重ね合わせれば、この地が26世紀前には栄華を誇る国だったこと、イラクの人々はその子孫であることを表しており、頭上にヘリコプターを飛ばしている米国のたかだか2世紀の歴史とは比べ物にならないことも示している。

 そのため「バビロンの息子」こそ本作に相応しい題なのに、邦題は『バビロンの陽光』となっている。
 しかし私は、『バビロンの陽光』と名付けた気持ちが判る気がする。
 赤茶けた土に覆われたイラクの乾いた大地と、そこに降り注ぐ日の光。そして、古代の遺跡を照らす赤い夕陽。戦乱に街は破壊されても、大地と陽射しは数千年のあいだ変わることがない。
 それは日本では決して見られない光景だ。イランの人にとっては珍しくもないだろう荒野ですら、日本人は映画を観なければ知り得ない。その驚きが、この邦題には込められているのだろう。
 『バビロンの陽光』を観たならば、美しい夕陽の輪郭や、赤い大地と女たちの黒い服のコントラストが、あなたの脳裏から消えることはないだろう。


バビロンの陽光 [DVD]バビロンの陽光』  [は行]
監督・脚本・撮影/モハメド・アルダラジー  脚本/ジェニファー・ノリッジ
出演/ヤッセル・タリーブ シャーザード・フセイン バシール・アルマジド
日本公開/2011年6月4日
ジャンル/[ドラマ]
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【theme : 洋画
【genre : 映画

tag : モハメド・アルダラジー ヤッセル・タリーブ シャーザード・フセイン バシール・アルマジド

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