『わたしを離さないで』 訴えられるのは誰か?

わたしを離さないで [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 『わたしを離さないで』の中には、実に無意味な問いが出てくる。
 それは、「彼らは心を持っているか」という問いかけだ。
 もちろん、本作はこの設問を追及するものではない。追求するまでもない。ただ、そんな問いを設定してしまう人がいることを悲しく描くだけだ。

 クローン技術による生物の誕生は、単に無性生殖がなされたというに過ぎない。私たちは有性生殖により遺伝子の多様性を確保するが、子を産み増殖するだけなら有性である必要はない。
 私たちが有性生殖したにもかかわらず遺伝子の多様性を確保しなかった例としては、一卵性双生児がある。一卵性双生児はそれぞれ同じ遺伝子を有しているが、だからといって心のありようが他の人と違うわけではない。

 クローンは、"オリジナル"の生物とほとんど同じ遺伝子を持つ[*]。しかし、たとえ一卵性双生児であっても指紋すら一致しないのに、ほとんど同じ遺伝子を持ったから何だというのだろう。
 クローンの誕生には人の技術が介在するが、そのことと誕生した生命に何の関係があろう。
 にもかかわらず、クローン技術で生まれた者は3年程度しか生きられないとか、偏見もはなはだしい映画が作られている。

 かつては双子ですら、一人で生まれた者とは違うと考えられた時代がある。
 日本でも、同性の双子はたたりをもたらすと恐れられ、どちらか一人を殺す風習があったという。
 今ではこのような恐るべき風習が許されないように、クローンを特別視することも許されないだろう。


 現在はまだクローン技術により誕生した人間はいないと考えられる。
 しかるに、彼らに対する差別はすでに始まっている。
 それは、しばしば見かける「クローン人間」という表記である。「人間」という語と「クローン」という語を合成することで、まるで彼らを一般の人間とは区別すべきものであるかのような印象を与えている。
 双子の遺伝子が等しいからといって、彼らを「一卵性双生人間」と呼んだりはしないし、誕生に際して人手による技術が介在したからといって、「対外受精人間」と呼んだり「帝王切開人間」と呼んだりはしない。
 そんな呼び方は、はなはだ不自然であり、人権侵害ですらあると私たちは知っている。なのに、「クローン人間」という表記はまかり通っている。

 クローンについてはまだまだ研究が必要だろうし、社会的にも議論を重ねるべきだろうが、かつて双子が生まれると一人を殺していたような偏見・迷信だけは許してはならないだろう。


 『わたしを離さないで』においては、クローン技術により誕生した人間が、他の人間と何ら変わらぬ感情を持ち、恋をし、希望にすがり、絶望に落胆する様が描かれる。彼らの成長を丹念に追うことで、観客は彼らに感情移入し、「心を持っているか」なんて問いが無意味であると痛感する。

 さて、そんなことをわざわざ描くのは何のためだろう?
 一般の人間と変わらぬ恋や心の動きを描写するなら、あえてクローンという設定を導入する必要はない。
 劇中で、彼らがクローンであることは取り立てて謎ではなく、そこからたいしてサスペンスが生まれるわけでもない。どこかにオリジナルの遺伝子を持つ人間がいるはずだが、それを云ったらすべての人間には男親、女親というオリジナルの遺伝子を持つ人間(ただし半分ずつ)がいるわけで、"オリジナル"を気にする彼らは、まだ見ぬ親のことを考える孤児にも相当しよう。 
 そうだ。本作で描かれる多くのことは、クローンを持ち出さなくても描けるのだ。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) では、本作の特徴はどこにあるのか。
 それは、クローン技術により誕生した人間たちの中ではなく、彼らを取り巻く環境にある。
 本作では、クローン技術により人間を生み出し、その臓器を部品として利用することで人々が長寿を得ている。主人公たちは、数回の手術で臓器を提供すると、生きることもかなわなくなって「終了」する。彼らはその運命に抵抗するでもなく、粛々と手術を受けて臓器を提供し続け、その多くが20代で命を落とす。

 この映画は、SFでもあり恋愛物でもあり青春物でもあるかもしれない。
 しかし、あえて一つのジャンルに分類するなら、本作は余命物である。自分や親しい人が余命いくばくもない状況で、その運命にどう向きあい、残された時間をどう過ごすか。
 おそらく本作の作り手は、一人や二人ではなく、多くの若者が生まれたときから死ぬことを義務付けられている、そんなシチュエーションが欲しくてこの設定を考えたのだろう。

 「生まれたときから死ぬことを義務付けられている」――おかしな表現だ。すべての人間はいつか死ぬことが義務付けられている。生まれたときから。
 本作はそれを、ちょっと早く、青少年のうちから感じざるを得ない人々を主人公とすることで、人間の生を浮き彫りにしようとしているのだ。


 それにしても、彼らが抵抗しないのはなぜだろう?
 治療不能の病魔に侵されたわけでもなく、予測不能の事故に遭ったわけでもなく、彼らは人の手で臓器を取られ、命を失っているのに、なぜ抵抗しないのか?
 それには幾つか理由があろう。
 生まれる前からの制度として、常識として、確立していたら、個人がそれに抗うのは容易ではない。周囲のみんなが粛々と受け入れているのだ、そもそも抗うことを思いつきもしないだろう。

 だが、おそらく最も大きな理由は、彼らが臓器を提供することで存在を認められるからだ。
 人は誰しも承認されたいという欲求がある。誰かに認められたい、存在を肯定されたいと願っている。
 臓器の提供は、人々の長寿を実現するための大事な要素であり、本作の世界の制度ではクローンとして誕生した彼らだけが担える役割であると思われる。
 生まれたときから、彼らを可愛がる親はなく、褒められたり、将来を期待されることもない。スポーツで声援を受けるでもなく、芸術で称賛されるでもない。料理が上手くできたとか、テストの点数が上がったということで喜ばれたことすらない。
 そんな彼らが唯一求められるのが臓器を提供することであったなら、そのことを通じてしか彼らの存在を気にかけてもらえないとしたら、彼らは臓器を提供する外に何ができるというのだろう。

 主人公たちは、臓器を抜き取られることを搾取だとか虐げだとは思っていない。彼らがそのことを口にするとしたら、献身とか貢献という言葉を使うだろう。


 劇中、彼らは必至に証明しようとする。自分たちには愛があると。
 愛情を注がれたことがない彼らは、愛があることを証明しなければならないと思ってしまう。何と悲しいことか。

 「わたしを離さないで」――それはあまりにも悲痛な叫びである。
 私たちの周りにも、そう訴えている人がいないだろうか。


[*] 核移植によるクローンでは、ミトコンドリアは未受精卵由来のものとなるため、最初の受精卵のものとは異なる


わたしを離さないで [Blu-ray]わたしを離さないで』  [わ行]
監督/マーク・ロマネク  原作/カズオ・イシグロ
出演/キャリー・マリガン アンドリュー・ガーフィールド キーラ・ナイトレイ シャーロット・ランプリング サリー・ホーキンス
日本公開/2010年3月26日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [SF]
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【genre : 映画

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