『アメイジング・グレイス』 議会制でも暗し

 【ネタバレ注意】

 映画『アメイジング・グレイス』は、18世紀末から19世紀頭のイギリスを舞台に、ウィリアム・ウィルバーフォース議員が奴隷売買の廃止に尽力する物語である。
 いや、「イギリスを舞台に」ではなく、ここは「イギリス議会を舞台に」と書きたい。本作の登場人物の多くは議員であり、主戦場は議会だ。「法廷物」の映画があるように、これは「議会物」とでも呼ぶべき作品である。
 議会とは国の命運を決する重要な場だ。ここで真剣な戦いが繰り広げられなくて、どこで国の在り方を決めるというのか。なればこそ、議会を中心に据えた本作が面白くないはずがない。

 本作は、奴隷の廃止に尽力する物語ではあるが、感動するようなヒューマンドラマではない。もちろん素晴らしいドラマであるし、感動する要素もあるのだが、観客の感情を揺さぶって泣かせようとはしていない。それよりも、映画の作り手が大事にしていることがあるのだ。
 それは、正義への取り組みと、正義の実現を阻むものを明らかにすることだ。

 奴隷制は忌むべき制度だ。とりわけ近世の奴隷貿易は、人類史において最もむごく、残酷なことの一つだろう。
 アフリカで人間を買い付けて、遠く離れたアメリカ大陸へ運び、奴隷としてこき使う。約3世紀のあいだに1,000万人もの人々が、貿易の商品として輸出されたという。
 そのため、アフリカの国々は衰え、運ばれた人々は苦難にあえぐことになった。それは今になっても解決していない。

 本作の主人公ウィルバーフォース議員は、この恥ずべき行為を禁止しようとするのだが、彼が味わうのは挫折ばかりである。
 この頃のイギリスは、 『ロビン・フッド』のように暗愚な王に振り回された時代ではない。国民の代表が法に則って選出され、議会において話し合う、議会制民主主義が確立していた。だからウィルバーフォースは、奴隷貿易のむごさを語る証拠を提示し、議会で弁舌を振るう。
 にもかかわらず、奴隷制のような唾棄すべきものを、止めることができない。
 なぜか?


 各議員が、国民の代表だからだ。
 議員とて人間だ。奴隷の悲惨さには眉をひそめるし、不衛生な奴隷船に近づけばハンカチで鼻を覆いたくなる。奴隷への仕打ちが人道的でないことは判る。
 しかし、議員が議員たり得ているのは、彼らに投票した民衆がいるからだ。民衆の意に反したら、彼らは議席を失ってしまう。一個人として奴隷制のむごさを理解しても、有権者の利益にならないことはできないのだ。
 そして、奴隷制が確立したのは、そこから生み出される利益があるからであり、その恩恵に浴する人々がいるからである。その人々が有権者である以上、制度を変えることはできない。

 これが議会制民主主義の国ではなく、専制君主の治める国であったなら、君主が止めろと云えば奴隷制を廃止できただろう。君主一人を情にほだせば、問題は解決したかもしれない。
 しかしかの国では、一人の君主の気まぐれで制度を改廃することは許されなかった。長い年月をかけて、そういう国を作ってきたのだ。

 これが民主主義の限界だろう。
 デモクラシーは、多くの場合「民主主義」と訳されるが、同時に「衆愚制」という意味もある。多くの人々の意見を集約したとき、そこに英知があるとは限らない。かえって、『アレクサンドリア』で描かれたように愚かな方向に暴走してしまうかもしれない。あるいは、雑多な意見の混交が国の進路を惑わせ、意思決定を遅らせるかもしれない。

 本作の作り手は、そのことがよく判っているのだろう。奴隷解放に向けてのウィルバーフォースの貢献は大きいが、本作では必ずしも彼の演説が他党議員の心を動かすわけではない。元凶は、奴隷貿易の恩恵に浴する有権者たちであり、結局彼らを動かすのは経済的な事情だった。
 本作がもしもハリウッド映画なら、主人公が議会で弁舌さわやかに演説し、傍聴人たちを感動させたことだろう。対立する議員は失脚し、退場しただろう。

 しかし、これはイギリス映画だ。マイケル・アプテッド監督は、この作品をカタルシスを覚えるような娯楽作にはしなかった。安易に泣かせる映画にもしなかった。そんな風に扱う題材ではないからだ。
 マイケル・アプテッド監督のこだわりがよく判る一つの例が、出演者を英国人で固めたことだ。
 アプテッド監督は次のように語っている。
 「私は英国人で、脚本家も英国人で、映画も英国史における偉大な瞬間を描いている。だから、キャストもイギリス人にすべきだと思った。」
 イギリス人俳優たちは、自国がかつて行った奴隷貿易という歴史を背負いながら、デモクラシーの限界と、それでもデモクラシーの下でことを進めなければならない苦渋とを、表現している。

 その様を見て、観客はイギリスの首相ウィンストン・チャーチルが述べた有名な言葉を思い出すだろう。

 「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」

               

 映画の題名にもなっている『Amazing Grace』は、日本でも賛美歌第二編167番『われをもすくいし』あるいは聖歌229番『おどろくばかりの』として知られている。曲名だけではピンと来なくても、そのメロディーにはきっと聴き覚えがあるはずだ。
 とはいえ、この歌を作詞したジョン・ニュートン牧師のことを、私はまった知らなかった。多くの国を流転し、奴隷船の船長を経て牧師となった彼の波乱に富んだ人生は、映画の中でも触れられるが、ウィリアム・ウィルバーフォースに劣らず興味深い物語である。

 ジョン・ニュートン牧師の残した『Amazing Grace』は、賛美歌として歌い継がれるだけでなく、多くの歌手がカバーしている。
 ここでは、私がいつも聴いているジュディ・コリンズの歌にリンクを張っておこう。


アメイジング・グレイス [DVD]アメイジング・グレイス』  [あ行]
監督/マイケル・アプテッド
出演/ヨアン・グリフィズ ロモーラ・ガライ ベネディクト・カンバーバッチ アルバート・フィニー ルーファス・シーウェル ユッスー・ンドゥール マイケル・ガンボン
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[ドラマ] [歴史劇]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : マイケル・アプテッド ヨアン・グリフィズ ロモーラ・ガライ ベネディクト・カンバーバッチ アルバート・フィニー ルーファス・シーウェル ユッスー・ンドゥール マイケル・ガンボン

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