『アレクサンドリア』 トホホな言動の私たち

 こんな映画をよく作れたな。
 『アレクサンドリア』鑑賞後の嘘偽らざる感想である。

 映画は、4世紀末、ローマ帝国支配下にあるエジプトの大都市アレクサンドリアが舞台となる。
 この都市の名は誰もが耳にしたことがあるだろう。世界の七大景観に数えられた大灯台で知られるアレクサンドリアは、地中海貿易の中心地であることを活かして各国の書物を収集し、その図書館には70万巻の蔵書があったという。
 70万巻とは畏れ入る。これは、現代の中堅都市の市立図書館や大学図書館並みの量である。そのすべてが学術書であろうこと、そもそも古代において書物の数が少なかったであろうことを考えれば、驚くべき知の集積である。

 帝国の英知を保管する施設といえば、SFファンならアイザック・アシモフが『ローマ帝国衰亡史』にヒントを得て著した『銀河帝国興亡史』の第一ファウンデーションを思い出すだろう。しかし、残念ながらアレクサンドリア図書館は、アシモフの描いたファウンデーションとは異なり、帝国よりも先に崩壊してしまう。
 このアレクサンドリア図書館崩壊のあらましを描いたのが本作である。

 主人公は、アレクサンドリアの哲学者ヒュパティア
 哲学といっても現在の学問領域とは少々異なる。ヒュパティアが考察したのは宇宙の仕組みや真理であり、今でいう数学であり天文学である。現代ならヒュパティアは科学者と呼ばれたかもしれない。
 ヒュパティアは、信仰等を理由に生徒を分け隔てすることなく、数学や天文学を講義したが、新興のキリスト教徒による蛮行は人々の対立を激化させ、彼女も平和に講義を続けることができなくなってしまう。
 映画は、キリスト教徒が図書館に押し寄せ、書物を焼き払ってしまう様を上空から俯瞰して見せる。それはあたかも害虫の群れが草花を食い散らかしているようである。
 やがて、異教徒を圧倒したキリスト教徒は、次にユダヤ人を迫害する。こうして、傍若無人なキリスト教徒のためにアレクサンドリアには暴力が吹き荒れ、かつての高度な学術都市の面影は失われていく。


 私が驚いたのは、本作がスペイン映画ということだ。スペインといえば、国民の75%がカトリックの国である。
 宗教的な対立に、どちらがいいも悪いもないだろうが、本作では、とりわけキリスト教徒の非道ぶりが印象深い。それなのにスペインでこの映画を作った制作陣はたいしたものだと思うし、そのスペインでの興行収入が3千万ドル以上に及んだとは、スペインの観客もたいしたものだと思う。
 もちろん、キリスト教徒だけが悪者なわけではない。本作ではユダヤ人の卑劣な行為も描かれるし、そもそもキリスト教を勃興させたのは奴隷制という差別に対する不満が要因であることも示唆されている。
 付け加えれば、本作で描かれた時代よりさらに後、7世紀になるとアレクサンドリアはアラブ人の勢力下に入り、イスラーム教徒が多数を占めてしまう。アレクサンドリアは今もエジプトの主要都市として栄えているが、もはやキリスト教徒は少数派となっている。
 とはいえ、現在ではキリスト教の信者が全世界で20億人を超え、この世は創世記のとおりに作られたとする創造論を信じる人も多数いる。魔法使いを肯定的に描くハリー・ポッターシリーズをローマ教皇が批判するくらいだ。そんな中、大作映画でこれほどキリスト教徒を悪しざまに描くのは興味深い。
 映画『アンチクライスト』が主に道徳面から反キリストに迫るのに対し、本作は歴史的事実の積み重ねからキリスト教の暗黒面をあぶり出す。

 そこで、アレハンドロ・アメナーバル監督が重視するのは科学である。
 映画はたびたびアレクサンドリアの街を俯瞰するが、並みの俯瞰ではない。地球全体を捉えた超ロングショットから、地中海へズームインし、さらにカメラが近寄ってアレクサンドリアへ、図書館へと迫る。
 そして図書館の中で科学を探求する女性の姿を映し出すのだ。
 アレハンドロ・アメナーバル監督は、公式サイトで次のように語っている。
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『アレクサンドリア』は、一人の女性と一つの都市、一つの文明社会、また一つの惑星の物語だ。僕たちが皆、共に生きるべき惑星だ。(略)宇宙では、地球はたくさんの星々にまじって回転する小さなボールに過ぎないし、人類はその中にいる小さなアリのようにしか見えない。
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 思想・信条の対立と暴力は、せいぜいアリ同士のせめぎ合いにすぎない。
 監督のメッセージは明確である。
 宗教になびかず、科学を信奉するヒュパティアは、キリスト教徒から目の敵にされる。
 そんな彼女は、次のような言葉を残したという。
 「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです


 これは現代の私たちにも思い当たることである。
 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と津波、そして福島第一原子力発電所のトラブルを通じて、私たちはメディアが信用ならないことを痛感した。
 もとよりテレビ番組のコメンテーターは思いつきを口に出すだけで思考停止していると云われてきたが、とりわけある程度の科学的知識を必要とすることについては情報源たり得なかった。テレビに映るキャスターは、デマに惑わされないようにと述べていたが、それはキャスター諸氏の発言にも当てはまることである。伊東乾氏が各種報道に対して「情報の不正確さには、目を覆わざるを得ない」というのももっともだ。

 後年、2011年3月の状況を振り返っても、そのデタラメさは実感できないかもしれない。
 たとえば、東京電力がプルトニウムを測定する機械を持っていないということが、大問題であるかのように取り上げられた。Twitterでも、この事実に対して「意味が分からない」「ネタか」といったツイートが飛び交った。
 東京電力がプルトニウム測定器を持っていないのは、そんな機械が世の中に存在しないからなのだが、2011年3月はこれがニュースになったのである。トホホ。
 何も全国民がプルトニウムの分析方法を知っている必要はない。しかし、妄言を拡散する前に、それが拡散に値することなのか、誰もが一度理性的に考える必要がある。
 買いだめや買い控えに走る前には、それが本当に必要なことなのか、デメリットは生じないのか、依拠する情報の精度はいかほどかを吟味する必要があったろう。
 とりわけ、産業医等による組織的サポートを受けにくい人――自由業、自営業、無職等の人は、不正確な情報で煽り煽られていないか注意する必要があるのかもしれない。


 本作の原題は「Agora」である。アゴラとは古代ギリシアの広場のことであり、人々の集会の場、交流・討論が行われた場所を指す。理性的な言動の象徴といえよう。
 本作が描くアレクサンドリアでは、思想・信条に囚われた人々の対立が激化し、アゴラは機能しなくなってしまった。
 はたして私たちは、ヒュパティアのように理性的に、裏付けのある事実だけを取捨選択して、真理を探求すべく話し合えるだろうか。

[追記]
 本作を、宗教を取り上げた映画、宗教的な対立を描いた映画と見る向きもあろうが、それだけでは原題「Agora」の意味を捉えそこなう。
 本作のテーマの一つはデモクラシーである。日本では一般に民主主義と訳されるが、デモクラシーには衆愚制の意味もある。
 本作は、一方で古代ギリシアの流れを汲む賢人たちによる施政を描く。それは洗練された社会を作り出しているが、奴隷たちの犠牲の上に成り立っており、奴隷をも一個の人間――国家の構成員として見たときに民主主義とは云えない。
 他方、キリスト教徒は神の下の平等を唱えており、(司教による煽動的な言葉があったとはいえ)図書館を破壊するのも、異教徒を虐殺するのも、民衆の意思である。人々が力を持ち、みずからの意思に従って行動するとき、いかに愚かな結果をもたらすことか。

 映画の舞台は4世紀末だが、それから1600年を経て私たちが作り上げたのは、はたして民主主義だろうか、衆愚制だろうか。


アレクサンドリア [Blu-ray]アレクサンドリア』  [あ行]
監督・脚本/アレハンドロ・アメナーバル  脚本/マテオ・ヒル
出演/レイチェル・ワイズ マックス・ミンゲラ オスカー・アイザック マイケル・ロンズデール サミ・サミール アシュラフ・バルフム ルパート・エヴァンス ホマユン・エルシャディ オシュリ・コーエン
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[歴史劇] [ドラマ]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : アレハンドロ・アメナーバル レイチェル・ワイズ マックス・ミンゲラ オスカー・アイザック マイケル・ロンズデール サミ・サミール アシュラフ・バルフム ルパート・エヴァンス ホマユン・エルシャディ オシュリ・コーエン

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