『神々と男たち』 「々」の謎

 【ネタバレ注意】

 えっ?!
 その題名を目にして驚いた。
 邦題は『神々と男たち』。原題は「DES HOMMES ET DES DIEUX」、英題なら「OF GODS AND MEN」である。
 邦題は原題からの直訳であり、日本でアレンジしたわけではなさそうだ。

 しかし、この映画は修道士たちのドラマだと聞いていたのに、ということはキリスト教色が濃厚のはずなのに、なぜこんな題名なのだ?
 キリスト教は一神教である。八百万(やおよろず)の神々がひしめく日本とは違うのに、「神々」と複数形なのは何ごとだ?

 その疑問は、映画が始まってすぐに氷解する。
 映画の冒頭で紹介される、旧約聖書の詩篇82篇6~7節の言葉で判る。
---
わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ。にもかかわらず、おまえたちは、人のように死に、君主たちのひとりのように倒れよう。」
---

 ここでいう「神々」とは、「裁判官」とも訳される。「力ある者」を意味するそうだ。
 たとえ「神々」「いと高き方の子ら」と呼ばれるほどの力を持つ者であっても、所詮はただの人間であり、いずれは死ぬだけだ。そして神の裁きを受けることになる。どんなに力のある者でも、悪者どもを利し、弱い者や貧しい者を助けないようでは、神に必ずや裁かれるぞ、ということだ。
 この言葉が意味することは、キリスト教徒が圧倒的に多いフランスでは云わずもがなであろうが、日本の観客の大多数にはピンと来ないかもしれない。日本人は、その独特の祖霊信仰も手伝ってか、神様は人間を見守ってくださるありがたい存在だと考えがちだが、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)における創造主は人知を超えた存在であり、心優しいことよりもまず人間とは次元が異なる強大な力を持つのが特徴なのだ。

 また、「HOMMES」はたしかに「男たち」と訳せるが、同時に「人々」という意味もあり、詩篇82篇と考え合わせれば、「神々」に対する「人々」のことと解釈するのが自然だろう。
 それに「男たち」と訳してしまうと、映画に登場する修道士たちだけを指すように思いかねない。
 ここでの「人々」とは、修道士や村人はもとより、テロリストや国軍のような武装勢力も含めた全員が、神の前ではただの人間でしかないこと、神の裁きを待つ身であることを意味しよう。
 劇中にも、薬を欲するテロリストに対して、治療を求める者が誰であろうと同じように診察すると告げるセリフがある。

 だから『神々と男たち』という邦題は、原題からの直訳としては間違っていないものの、背景にあるキリスト教の知識に疎い観客には、ちと辛い。たとえば、『力を振るう者たちと人々』なんて訳し方でも良かったのではないか。

 もっとも、そんなことは邦題を決める際に議論されたに違いない。
 おそらく、題名に込められた複数の意味を無理に表現するよりも、『神々と男たち』という言葉のインパクトを重視したのだろう。


 それに、題名の意味が伝わるかどうかはともかく、この映画が描くことは、日本人にも馴染みやすい。

 映画は、アルジェリアの北西部、アトラス山脈の山あいの修道院が舞台である。1996年当時、アルジェリアでは、クーデターで政権を握った国軍と、これに反発する武装イスラム集団との内戦が続いていた。外国人はテロ攻撃の標的にされ、フランス人の修道士たちもいつ襲われるか判らない。一方の勢力と関係を深めれば、もう一方の勢力から攻撃を受けるだろう。
 こんな状況下で、はたして修道院に残って奉仕活動を続けるべきか、それともフランスに帰国するべきか、修道士たちは思い悩む。

 フランス人は議論好きだそうだが、本作でも去就に迷う彼らの議論がたびたび繰り返され、それが映画の見どころになる。
 当初は、この地を離れようという者や、残って活動を続けようという者がおり、彼らの意見はバラバラだ。ところが議論を繰り返すうちに、彼らの意見は、迫る危険をものともせず、この地に残ることに集約されていく。
 修道士たちが拠りどころとするのは信仰だ。神を称え、神の御業を信じる彼らは、暴力に屈せず奉仕活動を続けてこそ心の自由が保たれると考える。
 観客は、議論のたびに彼らの信仰が、考えが、先鋭化していく様を見る。そして彼らは、本国の内務省からの帰国命令も無視する決断をする。その先には、武装集団によるテロ事件が待っているにもかかわらず。

 彼らは深い信仰を抱いて奉仕活動に従事した。たしかに、村人には彼らの助力が必要で、村人からは引き止められている。
 しかし、もしも彼らが死んでしまえば、村人への奉仕活動も閉ざされてしまうのだ。彼らが身の安全を図るのは、必ずしも不信心ではないはずだが、それを妨げたのもまた信仰のなせる業か。
 不遜を承知で云うならば、本国から遠く離れた小集団が危険を顧みない思想に染まっていく様子は、カルト過激派に通じないか。
 もちろん彼らの活動は、攻撃的なカルトや過激派とはまったく違う。しかし危険な選択をしてしまう彼らの判断は、あまりにも先鋭化している。
 そして日本人も、外部から隔離された集団が危険な方向に進んでしまう事例については心当たりがある。


 いささか立場は違うが、戦乱が続く地で活動する医師団は、危険が迫れば迅速に避難するそうだ。
 もちろん目の前には治療を必要とする患者がいる。医師がいなくなったら彼らは困る。医師たちが去ると知ったら、とうぜん引き止めるだろうし、暴動だって起こりかねない。
 だから、医師たちは秘密裏に姿を消すそうだ。いつもどおりの治療を続けていながら、一夜明けたら医師たちは忽然として消え失せる。
 そんなことをするのは医師たちも辛いだろうが、そういう判断をしなければ活動を継続できないのだ。
 もしもその判断を、現地に深く入り込んだ医師たちの自主性に任せたら、はたして迅速に避難できるだろうか。

 観客は、『神々と男たち』を観ることで、修道士たちが危険な土地に留まることを決意する過程に付き合うことになる。そして、彼らの判断を尊いと感じるかもしれない。彼らの判断に共感するかもしれない。
 しかし、そう感じるとしたら、それこそが危険の兆候ではないだろうか。


 本作でもう一つ見逃せないのは、フランスとアルジェリアの関係だ。
 劇中で修道士はフランス人であるがために非難される。
 「フランスの植民地政策のせいだ。フランスが搾取したからだ。」
 本作で、フランスの責任を問う言葉はこれだけだ。
 たったこれだけと見るべきか、言及したことを評価すべきか。

 フランスを初めとした各国の植民地政策のために、アフリカでは部族民族の生活圏とは無関係な国境が引かれ、産業は宗主国に都合の良い偏ったものにされ、宗主国から独立した後も社会的・経済的な不安定さが続いている。
 アルジェリアも、フランスとの戦争の末にようやく独立したのだが、経済的にはいまだフランスに大きく依存している。
 そしてフランスは、長いあいだアルジェリアとの戦争をなかったことにしていた
 これは1994年のルワンダ虐殺において、ルワンダに駐留していたフランス軍がバレーボールで遊びながら虐殺を見物していたことを、長年にわたって認めようとしなかったことにも通じよう。


 本作の公式サイトによれば、フランスでは、2003年より、死亡したクリストフ師の遺族が中心となって、この事件の真相究明のための裁判が行なわれているそうだ。
 裁判の行方は不明だが、だからこそ本作の作り手は、すべての人にいずれ神の裁きが下ることを示す文を冒頭に掲げたのかもしれない。
 であるならば、100万人に及ぶ死者を出したアルジェリア戦争や、やはり犠牲者が100万人にもなるルワンダ虐殺のことを、神はどのように裁くのだろうか。


神々と男たち [DVD]神々と男たち』  [か行]
監督・脚色・台詞/グザヴィエ・ボーヴォワ  脚本・脚色・台詞/エチエンヌ・コマール
出演/ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール オリヴィエ・ラブルダン フィリップ・ロダンバッシュ ジャック・エルラン ロイック・ピション グザヴィエ・マリー ジャン=マリー・フラン オリヴィエ・ペリエ サブリナ・ウアザニ ファリド・ラービ アデル・バンシェリフ
日本公開/2011年3月5日
ジャンル/[ドラマ]
ブログパーツ このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

【theme : フランス映画
【genre : 映画

tag : グザヴィエ・ボーヴォワ ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール オリヴィエ・ラブルダン フィリップ・ロダンバッシュ ジャック・エルラン ロイック・ピション グザヴィエ・マリー ジャン=マリー・フラン オリヴィエ・ペリエ

最新の記事
記事への登場ランキング
クリックすると本ブログ内の関連記事に飛びます
カテゴリ: 「全記事一覧」以外はノイズが交じりますm(_ _)m
月別に表示
リンク
スポンサード リンク
キーワードで検索 (表示されない場合はもう一度試してください)
プロフィール

Author:ナドレック

よく読まれる記事
スポンサード リンク
コメントありがとう
トラックバックありがとう
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

これまでの訪問者数
携帯からアクセス (QRコード)
QRコード
RSSリンクの表示