『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』 開戦から70年だから描けることは?

 『椰子の実』の歌を聴きながら、私は涙した。
 この歌を作詞した島崎藤村は、忌み嫌われる戦陣訓の作成にも参画した人物である。にもかかわらず、日本の戦争映画では、しばしば平和を希求する曲として歌われる。
 このことに象徴されるように、単純には捉え切れない日本人の心情を描いたのが、『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』である。

 とりわけ私は、冒頭の将棋の駒の説明にガツンとやられた。この簡潔で鋭い日本人論は、本作のスタンスを見事に表している。
 本作では、第二次世界大戦末期の出来事を、65年前の歴史として冷静に見る視点と、娯楽映画として物語性豊かに描く視点とが両立しており、見応え充分であった。

 「日本人はなぜ自殺するのか。」

 本作で、米軍の司令官がいきなり発するのが、この問いである。
 世界有数の自殺大国たる現代日本においては、聞き捨てならない設問だ。
 この問いに対して、日本に留学経験のある米軍士官が説明するのが、将棋の話である。

 曰く、チェスの駒は白黒に塗り分けられ、敵味方が混同することはない。しかし、将棋の駒は敵も味方も同じ形をしており、ただその向きだけで区別する。たとえ敵の駒であっても、向きを転じれば味方の駒と変わらない。実際、将棋のルールでは、敵から取った駒を、自分の駒として使うことができる。
 日本人もこれと同じだ。日本人は主君に忠誠を誓うので、たとえ昨日までの敵でも、ひとたび降伏したら新たな主君として忠誠を誓わねばならない。
 しかしそれでは元の主君に刃向かうことになるので、降伏する前に自殺するのだ。

 このような言説を淡々と述べることは、過去の日本映画では難しかったろう。戦争の記憶を風化させてはならない、とは云うものの、歳月を経たからこそ冷静に語れることもある。大手配給会社による大作映画で、このような日本人論を展開できるのは、戦後65年を経た今だからだろう。

 もちろん、この米軍士官が語ることは、新説でもなければ珍説でもない。
 すでに1946年に、ルース・ベネディクトが『菊と刀』において、日本兵捕虜の協力ぶりについて書いている。
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永年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍の爆撃機に同乗して軍事目標に誘導した。それはあたかも、新しい頁(ページ)をめくるかのようであった。新しい頁に書いてあることと、古い頁に書いてあることとは正反対であったが、彼らはここに書いてあることを、同じ忠実さで実践した。
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 このような、新たな主君に忠誠を誓う態度は、軍人だけのものではない。
 敗戦と同時にやってきたマッカーサーを、日本人は神の来臨のごとく歓迎した。敵軍の総司令官だった彼に、人々は銅像を作りたいとか「あなたの子供をうみたい」と申し出た

 この日本国民の性格を、内田樹氏は『日本辺境論』において「おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度、とりあえず「長いものに巻かれ」てみせ、その受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして差し出す態度」と表現している。
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つねにその場における支配的な権力との親疎(しんそ)を最優先に配慮すること。それが軍国主義イデオロギーが日本人に繰り返し叩き込んだ教訓だったからです。そして、そのイデオロギーが私たちの国民性格に深く親和していなければ、そもそもこのような戦争は始まりはしなかった。
(略)
私たちの時代でも、官僚や政治家や知識人たちの行為はそのつどの「絶対的価値体」との近接度によって制約されています。「何が正しいのか」を論理的に判断することよりも、「誰と親しくすればいいのか」を見きわめることに専(もっぱ)ら知的資源が供給されるということです。自分自身が正しい判断を下すことよりも、「正しい判断を下すはずの人」を探り当て、その「身近」にあることを優先するということです。
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 劇中、米軍司令官は、決戦を前にして日本軍の将校が指揮も執らずに自決してしまったことに驚き呆れるが、日本軍将校にすれば当然のことだ。これまで天皇に忠誠を誓ってきたことと、米軍の捕虜となったら米軍に協力してしまうこととの矛盾から逃れるには、決戦前に死んでしまうしかなかったのである。


 また本作は、民間人・軍人を問わず1万人もの人々がマッピ岬(いわゆるバンザイクリフ)から身投げしたことにも触れている。
 身投げした人々は、敵国人は人食い人種であり、捕らわれたら必ず殺されると考えていた。
 そのような考えが、沖縄でも樺太でも多くの悲劇を生むことになる

 本作では、この日本人の考え方を米兵の口を通して淡々と説明するとともに、日本兵に熱く語らせる。
 「殺されると判っているのに、民間人を収容所に送るのですか!」
 山田孝之さんが演じる木谷曹長は、上官である大場大尉にそう食ってかかる。
 後に愛知県蒲郡市の市議会議員を務めることになる大場大尉は、医薬品が底をついたからには、民間人を米軍の収容所に送るしかないと考える。それに対し木谷曹長は、民間人が米軍の手に落ちたら殺されると主張する。

 かように、本作では何ごとにも意見の異なる者を配置したり、同一人物に相反することを語らせたりして、事物を複眼的に捉えようと心掛けている。
 このバランス感覚が、本作の大きな特徴である。


 戦後しばらくの日本では、軍部を悪者にすればこと足れりとする風潮があった。
 樺太での集団自決の慰霊碑に、民間人は日本軍の命令により青酸カリを飲んだと、事実に反する碑文が刻まれたのは端的な例である。
 また、戦争を描いた作品では、東京大空襲や原爆投下による被害を取り上げ、民間人を被害者としてアプローチするものが多かった。従軍体験のある作家は、非道な上官といじめられる一兵卒を描いた。

 しかし、当時は国民の側から戦争を望んだのも事実である。
 東京裁判で戦犯として裁かれた日本の指導者たちは、戦争を推進したことを問われると、みな口々に「私の個人的意見は反対でありました」と述べている。
 そのような事実を反映してのことだろう、本作には軍人以上に米兵を殺したいと願う民間人が登場する。
 また、米軍に協力する民間人や、米軍収容所の警備はザルなのに逃げようとしない民間人が描かれる。さらに、一人の民間人が、あるときは日本兵に「私たちを守ってくれないのか」と詰め寄りながら、米軍に引き渡される段になると「正直、ホッとしました」と告白する。
 そして、戦いの終わらせ方を模索する士官に対しては、徹底抗戦を主張する部下が登場する。
 別の日本兵は、玉砕しないのはけしからんと怒鳴り散らしながら、自分自身は自決できなかったりする。

 米軍の描き方も単純ではない。
 日本人の案に相違して、米軍の収容所では怪我した日本人が手厚く看護され、衣食住も保障されるのだが、一方で米兵が死んだ日本兵のふところを探る場面もある。米兵は金品を狙っているわけではない。角隠しを被った花嫁の写真を見つけて、エキゾチックな戦利品に喜ぶのだ。
 米軍の司令室に日の丸が飾られているのも、それが戦利品だからだ。
 戦利品をせしめて喜ぶ姿は、アメリカ映画でも描かれている。1946年にアカデミー賞をはじめ各賞を総なめにしたウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』では、太平洋戦争からの帰還兵が、日の丸や日本刀を子供たちに見せて自慢する場面がある。それらは沖縄等から奪ってきたものだ。
 本作に登場する日本人少女は、日本人の持ち物を奪う米兵と、心優しい米軍看護師の双方に接することになる。


 このように本作は、日本軍の多面性、民間人の多面性、米軍の多面性をまんべんなく描くことで、一面だけでは語り得ない戦争というもの、人間というものをあぶり出す。
 本作以降、日本だけ、民間人だけ、あるいは軍人だけを描いた戦争映画は、一方的であるとか、リアリティ軽視であるとのそしりを免れないだろう。

 そして、サイパンの局地戦では米軍に抗していながら、日本国としては敗れてしまう事実を通して、兵士が優秀でも将校は無能な、今に通じる日本の特徴が見えてくる。


太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-Blu-ray太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』  [た行]
監督/平山秀幸  US班監督・脚本/チェリン・グラック  第2班監督/尾上克郎
脚本/西岡琢也 グレゴリー・マルケット
原作/ドン・ジョーンズ
出演/竹野内豊 ショーン・マッゴーワン 唐沢寿明 阿部サダヲ 井上真央 山田孝之 中嶋朋子 岡田義徳 板尾創路 光石研 柄本時生 近藤芳正 酒井敏也 ベンガル トリート・ウィリアムズ ダニエル・ボールドウィン
日本公開/2011年2月11日
ジャンル/[ドラマ] [戦争]
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【genre : 映画

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