『冷たい熱帯魚』 ソノシオンかく語りき

 「僕はもう観客に癒しも慰めも与えなくて、残酷な事実だけを提供します」

 そう園子温監督が宣言したとおり、『冷たい熱帯魚』は希望を次々に打ち砕く。
 家族の現状に問題があっても何とかこのまま過ごしていけるだろうという希望、新しい出会いがビジネスを好転させるキッカケになるだろうという希望、親にできない子供の躾を他人なら上手くやってくれるだろうという希望。そんな、根拠もないのに縋り付きたくなる希望を、本作は徹底して打ち砕く。
 そして本作は、あらゆる救いを断ち、残酷な絶望だけが現実なのだと主張する。

 園子温監督は云う。
 「『愛のむきだし』で多くの人が僕のことを勘違いし、愛を信じてポップな楽しい映画を作る人だと思い込んでしまったようなので、今回初心に戻りたいと思ったわけです」
 私は『愛のむきだし』のポップな楽しさが大好きなのだが、園子温監督はそんなイメージを破壊し、再デビューのつもりで『冷たい熱帯魚』を作ったという。

 本作には何の救いもなく、それはニヒリズムに通じる。
 劇中には、薄汚れたキリスト像や壊れたマリア像が幾度となく映し出され、宗教的な品々に満ちた場所で残虐な行為がなされる。それは、神や天国での救済を否定し、世の人々の胸にある希望を否定するニヒリズムである。
 しかし、単なる否定の連続は、人々を袋小路に追い込むだけだ。


 『冷たい熱帯魚』において、希望や救いの代わりに満ちているのは力強さだ。
 公式サイトによれば、本作は1994年に発覚した埼玉愛犬家連続殺人事件を基にしつつ、園子温監督が詐欺にあった経験等を含めて作り上げたという。
 ここに登場するでんでん演じる悪人・村田は、エネルギーに満ち満ちた人物である。欲望の赴くままに行動する彼は非人間的ではあるが、同時に何ごとも自分の力で切り開いてきたという自負を持っている。
 だからこそ、主人公・社本が他人の顔色を窺い、淡い希望に縋ろうとする様を見下して、「お前は自分の脚で立ってない」と非難する。村田のような悪人に非難されるいわれはないのだが、その指摘が正鵠を射ているだけに、社本は反論できない。

 この物語は、救いや希望に縋って生きていこうとする主人公と、救いも希望も道徳さえも否定してみずからの力だけで突破する村田とを対比している。
 作り手がどちらに軍配を挙げているかは一目瞭然だ。
 園子温監督は、この映画で目指した地点を問われて次のように答えている。
---
今回は“徹底的に救われない家族”を描いてみました。何にでも希望を持たすのはイカンと思うんですよ。ダメなものはダメだと。そのくらい徹底したほうが活力になる。
---

 社本は村田に翻弄され、なすがままとなり、彼が信じる救いも希望も、あっけなく粉砕される。
 村田に対抗できるのは、救いでも希望でもない、みずからの力強さだけなのだ。

 それは単なる否定ではない。
 ニーチェが語ったもの――能動的ニヒリズムと呼ばれるものであろう。
 ニーチェは「神は死んだ」と叫び、神も天国も一切の救いを否定した。否定し尽くした先に残ったのは、ただ人間であるという事実だけだ。そしてそれこそが、永劫に続く世界の中で、私たちが依って立つ唯一の基礎なのだ。

 『冷たい熱帯魚』は、最後の最後まで、愛も希望も救済も否定し続ける。そうしてこそ私たちは自分の脚で立てるのだと云わんばかりに。

(つづく)


冷たい熱帯魚 [Blu-ray]冷たい熱帯魚』  [た行]
監督・脚本/園子温  脚本/高橋ヨシキ
出演/吹越満 でんでん 黒沢あすか 神楽坂恵 梶原ひかり 渡辺哲 諏訪太朗
日本公開/2011年1月29日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス] [犯罪]
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