東北地方太平洋沖地震 義援金バナー
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により被害を受けられた皆様、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
また、原子力発電所等にて災害の拡大防止及び復旧のために尽力されている皆様に心からの感謝と敬意を表します。
当ブログも3月11日以来手付かずでしたが、ようやく更新できるようになりました(いつも週一回程度の更新なので、変化がないと云えばないのですが
)。
当方のような場末のブログでできることはあまりありませんが、せめてもの活動として、募金情報まとめサイトへのバナーを設置してみました。こちらのサイトでは、日本赤十字社等への募金情報が紹介されており、善意を形にすることができます。
ケータイ向けには、NAVERの募金・義援金のまとめサイトが要領良くまとめられています。
当ブログを設置しているFC2ブログでは義援金サービスを提供していないので、このバナーは著作権フリーの部品を利用させていただきました。
・バナーの画像 ……三階ラボさん制作の画像を使わせていただきました。
・キャッチフレーズ ……「笑顔の為に、僕らが今できること。」というキャッチフレーズは、バナーデザインギャラリーさんのバナーから拝借しました。
この場を借りてお礼申し上げます。
バナーを設置しておいてなんですが、私自身はファミリーマート店内のFamiポートから日本赤十字社へ募金しました。使途を明確にできる上、通勤・通学・お買い物の途中で、気軽に募金することができます。
[このブログについて]
映画ブログ
また、原子力発電所等にて災害の拡大防止及び復旧のために尽力されている皆様に心からの感謝と敬意を表します。
当ブログも3月11日以来手付かずでしたが、ようやく更新できるようになりました(いつも週一回程度の更新なので、変化がないと云えばないのですが

当方のような場末のブログでできることはあまりありませんが、せめてもの活動として、募金情報まとめサイトへのバナーを設置してみました。こちらのサイトでは、日本赤十字社等への募金情報が紹介されており、善意を形にすることができます。
ケータイ向けには、NAVERの募金・義援金のまとめサイトが要領良くまとめられています。
当ブログを設置しているFC2ブログでは義援金サービスを提供していないので、このバナーは著作権フリーの部品を利用させていただきました。
・バナーの画像 ……三階ラボさん制作の画像を使わせていただきました。
・キャッチフレーズ ……「笑顔の為に、僕らが今できること。」というキャッチフレーズは、バナーデザインギャラリーさんのバナーから拝借しました。
この場を借りてお礼申し上げます。
バナーを設置しておいてなんですが、私自身はファミリーマート店内のFamiポートから日本赤十字社へ募金しました。使途を明確にできる上、通勤・通学・お買い物の途中で、気軽に募金することができます。
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映画ブログ
【theme : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助】
【genre : 福祉・ボランティア】
映画とは何か
大層な記事タイトルだが、映画芸術について大上段に構えて語ろうというわけではない。
このブログにおいて何を「映画」と呼ぶか、ちょっと整理しておきたい。
映画に対しては、人それぞれの想いがあるだろうが、私が重視する要素に次の2つがある。
・映画館に足を運ぶこと
・場内が暗くなる中でワクワクしながら上映を待つこと
すなわち、映画を観ることは一つのイベントなのだ。
上映が始まると、映画の中の時間を登場人物や他の観客と共有することになる。
眼が疲れても一時停止はできず、トイレに行ってもコマを戻すことはできない。
一方的に続けられる上映に、観客はついていかなければならない。
送り手の意図した環境と時間経過で音と映像を体験するために、観客はみずからの集中力を総動員する必要がある。
DVDの再生等で視聴するときは、立場がまったく異なる。
時間を支配するのは視聴者だ。
見逃した場面や聞き逃したセリフは、何度でも再生してたしかめられる。
宅配便がくれば、役者の演技を止めさせて、自分は玄関で応対すれば良い。
作品の進行を支配しているのは視聴者で、気を張り詰めて画面に集中する必要はない。
このように作品と受け手の関係が異なれば、映画館での鑑賞と、自宅でのDVDの再生等を、同じ体験とは呼べないのではないか。
だから、私の定義は単純だ。
映画とは「映画館で観たもの」。DVDを再生したなら「DVDを観た」、BS、CS放送を観たなら「BS、CSを観た」という。
地上波テレビのように、約15分おきに映画の作り手とは異なる人がつくった無関係な映像を挿入して、映画の時間進行を中断する形態もある(テレビコマーシャルという)。
交響曲の楽章の途中で祭り囃子をピーヒャラ奏でることを想像すれば、これが異様な形態であることが判るだろう。
とはいえ、困ったことに名画座や二番館、三番館が激減した今日、ロードショーを見逃すと映画館で観ることはほとんど不可能になる。
また、立派なホームシアターを構えて、自宅で観る方が集中できるという人もおられよう。
だから私は、何が何でも映画館で観るべきだと主張するわけではない。
かくいう私も、黒澤明や小津安二郎や木下恵介のDVDやLDのBOXを買いこんでいる(これは観るためというより所有するためだが)。
ただ私は、映画の時間進行を支配するのは、作り手・送り手であるべきだと思うのだ。
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映画に対しては、人それぞれの想いがあるだろうが、私が重視する要素に次の2つがある。
・映画館に足を運ぶこと
・場内が暗くなる中でワクワクしながら上映を待つこと
すなわち、映画を観ることは一つのイベントなのだ。
上映が始まると、映画の中の時間を登場人物や他の観客と共有することになる。
眼が疲れても一時停止はできず、トイレに行ってもコマを戻すことはできない。
一方的に続けられる上映に、観客はついていかなければならない。
送り手の意図した環境と時間経過で音と映像を体験するために、観客はみずからの集中力を総動員する必要がある。
DVDの再生等で視聴するときは、立場がまったく異なる。
時間を支配するのは視聴者だ。
見逃した場面や聞き逃したセリフは、何度でも再生してたしかめられる。
宅配便がくれば、役者の演技を止めさせて、自分は玄関で応対すれば良い。
作品の進行を支配しているのは視聴者で、気を張り詰めて画面に集中する必要はない。
このように作品と受け手の関係が異なれば、映画館での鑑賞と、自宅でのDVDの再生等を、同じ体験とは呼べないのではないか。
だから、私の定義は単純だ。
映画とは「映画館で観たもの」。DVDを再生したなら「DVDを観た」、BS、CS放送を観たなら「BS、CSを観た」という。
地上波テレビのように、約15分おきに映画の作り手とは異なる人がつくった無関係な映像を挿入して、映画の時間進行を中断する形態もある(テレビコマーシャルという)。
交響曲の楽章の途中で祭り囃子をピーヒャラ奏でることを想像すれば、これが異様な形態であることが判るだろう。
とはいえ、困ったことに名画座や二番館、三番館が激減した今日、ロードショーを見逃すと映画館で観ることはほとんど不可能になる。
また、立派なホームシアターを構えて、自宅で観る方が集中できるという人もおられよう。
だから私は、何が何でも映画館で観るべきだと主張するわけではない。
かくいう私も、黒澤明や小津安二郎や木下恵介のDVDやLDのBOXを買いこんでいる(これは観るためというより所有するためだが)。
ただ私は、映画の時間進行を支配するのは、作り手・送り手であるべきだと思うのだ。
[このブログについて]

はじめに -ネタバラシとは何か-
お出でいただきありがとうございます。ナドレックです。
ここでは映画の感想やレビューを綴ります。
ときには、テレビドラマや小説、音楽などについても書いていきます。
私は作品のネタバラシをするのもされるのも好みませんが、ときどきストーリーを忘れてしまって、レビューを読んでも意味の判らないことがあります。
同様に感じる方もいらっしゃるでしょうから、ここではネタバラシをおそれずに書いていくつもりです。
そうはいってもネタバラシやあらすじを中心にするわけではありませんが、各記事で取り上げる作品を未見の方はお気をつけください。
なお「ネタバラシ」とは、2つの意味で使います。
・その作品のオチや核心部分を明示的に書いてしまうこと。
・その作品の元ネタはなんなのかを解題すること。
まぁ、評論文や解説文ではなく感想文ですので、気軽にお付き合いください。
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ここでは映画の感想やレビューを綴ります。
ときには、テレビドラマや小説、音楽などについても書いていきます。
私は作品のネタバラシをするのもされるのも好みませんが、ときどきストーリーを忘れてしまって、レビューを読んでも意味の判らないことがあります。
同様に感じる方もいらっしゃるでしょうから、ここではネタバラシをおそれずに書いていくつもりです。
そうはいってもネタバラシやあらすじを中心にするわけではありませんが、各記事で取り上げる作品を未見の方はお気をつけください。
なお「ネタバラシ」とは、2つの意味で使います。
・その作品のオチや核心部分を明示的に書いてしまうこと。
・その作品の元ネタはなんなのかを解題すること。
まぁ、評論文や解説文ではなく感想文ですので、気軽にお付き合いください。
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