『最後の忠臣蔵』の販売戦略
【ネタバレ注意】
12月14日は元禄赤穂事件(いわゆる忠臣蔵)の討ち入りの日として知られるが、1985年の12月14日は映画『サンタクロース』が封切られた日だ。
サンタクロースが登場する映画は少なくないが、そのものズバリの題名のこの映画は、その年のクリスマスシーズンの目玉作品として注目されていた。公開当初の出足は上々で、正月休みの興行成績にも期待が高まった。
ところが、興行・配給側の予想だにしないことが起こった。
12月25日を境にパッタリ客足が途絶えてしまったのである。当時のキネマ旬報によれば、盛り上がったのはクリスマスまでで、その後はまったくダメだったらしい。
考えてみれば当たり前である。クリスマスが終わったのに、サンタクロースじゃないだろう。
この作品により、映画界はクリスマスにかかわる映画が興行できるのは12月25日までだと思い知ったようだ。2009年の『Disney's クリスマス・キャロル』が早くも11月14日に封切られたのは、そのときの教訓があるからだろう。
同じように、忠臣蔵といえば12月だ。
正確には、討ち入りが行われた元禄15年12月14日は旧暦であり、西暦1703年1月30日のことを指す。だから1月末に向けて盛り上げても良さそうなものだが、映画でもテレビでも忠臣蔵モノは秋から年末にかけて公開・放映するのが一般的だ。残念なことに、正月第一弾ロードショー(12月中旬~1月中旬)にはかからない。
たしかに、年が明けて三が日も過ぎたら、「12月14日の討ち入り」なんて不似合いに感じるだろう。それこそ、クリスマス後の『サンタクロース』である。
ともかく、どういうわけか日本人は忠臣蔵が大好きだ。歌舞伎や人形浄瑠璃の演目になって300年、映画やテレビドラマでも数多く作られている。300年も同じ題材を観続けて、よく飽きないものだ。
映画界としては、こんなに人気のある題材は、稼ぎどきの正月第一弾で興行したいことだろう。
そこにうってつけなのが、『最後の忠臣蔵』である。
この映画は、忠臣蔵の後日談を描いている。すなわち、討ち入りの12月14日より後の物語であり、興行を12月中旬~1月中旬に行っても違和感がない。この作品なら、忠臣蔵人気と、稼ぎどきの正月第一弾ロードショーとを両立させられるのだ。
実際、映画『最後の忠臣蔵』の封切り日は、12月14日より後の最初の週末である12月18日となった。
そしてこの物語は、討ち入りが終わるところから始まる。
今年もテレビでは忠臣蔵を取り上げるが、すべての忠臣蔵関係の番組は、本作のいい宣伝になるだろう。忠臣蔵関係の番組が面白ければ面白いほど、その後日談である本作も観たくなるというものだ。
さて、ここから先は、『最後の忠臣蔵』の内容を知りたくない人はご遠慮願いたい。結末を知りつつも楽しむのが忠臣蔵なので、『最後の忠臣蔵』もその結末に触れたからといって面白さが半減するわけではないが、念のためご注意いただきたい。
本作は、元禄赤穂事件にかかわった人物の中でも謎の多い寺坂吉右衛門(てらさか きちえもん)と瀬尾孫左衛門(せお まござえもん)を取り上げ、なぜ二人が他の赤穂浪士とは行動を別にしたのか、その謎について一つの説を提示する。忠臣蔵が好きな人には、たいへん興味深いところだろう。
それと同時に、この作品の基底にあるのは、娘の結婚という普遍的なドラマでもある。
娘の結婚を繰り返し取り上げた監督といえば、小津安二郎だろう。
特に『晩春』(1949年)は、長年続いた父と娘の二人暮しに終止符を打ち、娘を送り出す父を描いて、『最後の忠臣蔵』に通じるものがある。『晩春』では、父と娘の間に性的なイメージがあるとして論争になったが、『最後の忠臣蔵』の父娘は実の親子ではないことから、男女の関係がより強調されている。
特に『晩春』が他の小津作品に比べて印象深いのは、そのラストシーンだ。
娘の結婚を描いた小津映画のラストでは、娘のいなくなった寂しさの漂うことが多いのだが、とりわけ『晩春』は家の中にポツンと取り残された父の孤独が印象的だ。それは寂しさを通り越して残酷ですらある。たった一人取り残された男がこれから何をするのか、観客が不安に思うほどの残酷さを感じさせて映画は終わる。
この不安を突き詰めたのが『最後の忠臣蔵』だと云ったら、うがちすぎだろうか。
娘を送り出した瀬尾孫左衛門が、その後にしようとすること、それはハラキリである。忠臣蔵は赤穂浪士たちの切腹で終わるのであり、『最後の忠臣蔵』もその流れを汲んでいる。
制作のワーナー エンターテイメント ジャパンとしても、ここは外せないところだ。
本作はワーナー エンターテイメント ジャパンが本格的に手がけたローカル・プロダクションの第一弾である。もはやハリウッド・メジャーといえども、ハリウッドで作った映画を全世界で公開すれば商売になる時代ではない。メジャー各社は、各国の事情に合わせてその国向けの映画を作るローカル・プロダクションに力を入れ始めている。
とはいえ、本作は日本国内だけで公開するわけではない。2010年10月にハリウッドで開催されたプレミア試写会での好評を受け、米国でも公開予定だ。
日本発の本格的サムライ映画は、グローバルコンテンツとして世界に売れる作品である。そこには、サムライ、ハラキリ、ニンジャ等が欠かせない。
本作と同じくワーナーが配給した『ラスト サムライ』でも、サムライ、ハラキリ、ニンジャはしっかり含まれていた。明治時代にニンジャが出るのはデタラメすぎるが、このときは監督らアメリカ人スタッフが「どうしてもニンジャを撮りたい」と希望したそうである。何が米国の観客に受けるのかを考えたら、当然の配慮だろう。
さすがに『最後の忠臣蔵』にはニンジャが登場する余地はないが、その代わりハラキリは『ラスト サムライ』以上にじっくり見せてくれる。
もちろん、映画用に切腹シーンを付け足したわけではない。原作に沿った展開だ。
寺坂吉右衛門と瀬尾孫左衛門は、本来であれば他の浪士たちと一緒に切腹していたはずだ。それなのに、大石内蔵助の命により生きていかざるを得なくなる。
すなわち、使命を達した暁には死ぬることができるわけだが、それをどう見るかは人それぞれだろう。
私は、死を目の前にした正岡子規が病の床で書いた言葉を思わずにはいられない。
竹中正治氏のブログで教えていただいた、『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく)の一節である。
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悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
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『最後の忠臣蔵』 [さ行]
監督/杉田成道 脚本/田中陽造 原作/池宮彰一郎
制作総指揮/ウィリアム・アイアトン
出演/役所広司 佐藤浩市 桜庭ななみ 山本耕史 風吹ジュン 田中邦衛 伊武雅刀 笈田ヨシ 安田成美 片岡仁左衛門
日本公開/2010年12月18日
ジャンル/[時代劇] [ドラマ]
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12月14日は元禄赤穂事件(いわゆる忠臣蔵)の討ち入りの日として知られるが、1985年の12月14日は映画『サンタクロース』が封切られた日だ。
サンタクロースが登場する映画は少なくないが、そのものズバリの題名のこの映画は、その年のクリスマスシーズンの目玉作品として注目されていた。公開当初の出足は上々で、正月休みの興行成績にも期待が高まった。
ところが、興行・配給側の予想だにしないことが起こった。
12月25日を境にパッタリ客足が途絶えてしまったのである。当時のキネマ旬報によれば、盛り上がったのはクリスマスまでで、その後はまったくダメだったらしい。
考えてみれば当たり前である。クリスマスが終わったのに、サンタクロースじゃないだろう。
この作品により、映画界はクリスマスにかかわる映画が興行できるのは12月25日までだと思い知ったようだ。2009年の『Disney's クリスマス・キャロル』が早くも11月14日に封切られたのは、そのときの教訓があるからだろう。
同じように、忠臣蔵といえば12月だ。
正確には、討ち入りが行われた元禄15年12月14日は旧暦であり、西暦1703年1月30日のことを指す。だから1月末に向けて盛り上げても良さそうなものだが、映画でもテレビでも忠臣蔵モノは秋から年末にかけて公開・放映するのが一般的だ。残念なことに、正月第一弾ロードショー(12月中旬~1月中旬)にはかからない。
たしかに、年が明けて三が日も過ぎたら、「12月14日の討ち入り」なんて不似合いに感じるだろう。それこそ、クリスマス後の『サンタクロース』である。
ともかく、どういうわけか日本人は忠臣蔵が大好きだ。歌舞伎や人形浄瑠璃の演目になって300年、映画やテレビドラマでも数多く作られている。300年も同じ題材を観続けて、よく飽きないものだ。
映画界としては、こんなに人気のある題材は、稼ぎどきの正月第一弾で興行したいことだろう。
そこにうってつけなのが、『最後の忠臣蔵』である。
この映画は、忠臣蔵の後日談を描いている。すなわち、討ち入りの12月14日より後の物語であり、興行を12月中旬~1月中旬に行っても違和感がない。この作品なら、忠臣蔵人気と、稼ぎどきの正月第一弾ロードショーとを両立させられるのだ。
実際、映画『最後の忠臣蔵』の封切り日は、12月14日より後の最初の週末である12月18日となった。
そしてこの物語は、討ち入りが終わるところから始まる。
今年もテレビでは忠臣蔵を取り上げるが、すべての忠臣蔵関係の番組は、本作のいい宣伝になるだろう。忠臣蔵関係の番組が面白ければ面白いほど、その後日談である本作も観たくなるというものだ。
さて、ここから先は、『最後の忠臣蔵』の内容を知りたくない人はご遠慮願いたい。結末を知りつつも楽しむのが忠臣蔵なので、『最後の忠臣蔵』もその結末に触れたからといって面白さが半減するわけではないが、念のためご注意いただきたい。
本作は、元禄赤穂事件にかかわった人物の中でも謎の多い寺坂吉右衛門(てらさか きちえもん)と瀬尾孫左衛門(せお まござえもん)を取り上げ、なぜ二人が他の赤穂浪士とは行動を別にしたのか、その謎について一つの説を提示する。忠臣蔵が好きな人には、たいへん興味深いところだろう。
それと同時に、この作品の基底にあるのは、娘の結婚という普遍的なドラマでもある。
娘の結婚を繰り返し取り上げた監督といえば、小津安二郎だろう。
特に『晩春』(1949年)は、長年続いた父と娘の二人暮しに終止符を打ち、娘を送り出す父を描いて、『最後の忠臣蔵』に通じるものがある。『晩春』では、父と娘の間に性的なイメージがあるとして論争になったが、『最後の忠臣蔵』の父娘は実の親子ではないことから、男女の関係がより強調されている。
特に『晩春』が他の小津作品に比べて印象深いのは、そのラストシーンだ。
娘の結婚を描いた小津映画のラストでは、娘のいなくなった寂しさの漂うことが多いのだが、とりわけ『晩春』は家の中にポツンと取り残された父の孤独が印象的だ。それは寂しさを通り越して残酷ですらある。たった一人取り残された男がこれから何をするのか、観客が不安に思うほどの残酷さを感じさせて映画は終わる。
この不安を突き詰めたのが『最後の忠臣蔵』だと云ったら、うがちすぎだろうか。
娘を送り出した瀬尾孫左衛門が、その後にしようとすること、それはハラキリである。忠臣蔵は赤穂浪士たちの切腹で終わるのであり、『最後の忠臣蔵』もその流れを汲んでいる。
制作のワーナー エンターテイメント ジャパンとしても、ここは外せないところだ。
本作はワーナー エンターテイメント ジャパンが本格的に手がけたローカル・プロダクションの第一弾である。もはやハリウッド・メジャーといえども、ハリウッドで作った映画を全世界で公開すれば商売になる時代ではない。メジャー各社は、各国の事情に合わせてその国向けの映画を作るローカル・プロダクションに力を入れ始めている。
とはいえ、本作は日本国内だけで公開するわけではない。2010年10月にハリウッドで開催されたプレミア試写会での好評を受け、米国でも公開予定だ。
日本発の本格的サムライ映画は、グローバルコンテンツとして世界に売れる作品である。そこには、サムライ、ハラキリ、ニンジャ等が欠かせない。
本作と同じくワーナーが配給した『ラスト サムライ』でも、サムライ、ハラキリ、ニンジャはしっかり含まれていた。明治時代にニンジャが出るのはデタラメすぎるが、このときは監督らアメリカ人スタッフが「どうしてもニンジャを撮りたい」と希望したそうである。何が米国の観客に受けるのかを考えたら、当然の配慮だろう。
さすがに『最後の忠臣蔵』にはニンジャが登場する余地はないが、その代わりハラキリは『ラスト サムライ』以上にじっくり見せてくれる。
もちろん、映画用に切腹シーンを付け足したわけではない。原作に沿った展開だ。
寺坂吉右衛門と瀬尾孫左衛門は、本来であれば他の浪士たちと一緒に切腹していたはずだ。それなのに、大石内蔵助の命により生きていかざるを得なくなる。
すなわち、使命を達した暁には死ぬることができるわけだが、それをどう見るかは人それぞれだろう。
私は、死を目の前にした正岡子規が病の床で書いた言葉を思わずにはいられない。
竹中正治氏のブログで教えていただいた、『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく)の一節である。
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悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
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監督/杉田成道 脚本/田中陽造 原作/池宮彰一郎
制作総指揮/ウィリアム・アイアトン
出演/役所広司 佐藤浩市 桜庭ななみ 山本耕史 風吹ジュン 田中邦衛 伊武雅刀 笈田ヨシ 安田成美 片岡仁左衛門
日本公開/2010年12月18日
ジャンル/[時代劇] [ドラマ]

