『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』 祖国は一つ
この高揚感はどうしたことだろう。映画からは、とても前向きな、力強さが伝わってくる。この映画を「楽しい」とか「面白い」と評したら、不謹慎だろうか。
戦争の記憶をたどる映画は、往々にして悲しくむごい。『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』も、例外に漏れず辛い告白と、悲惨な映像が多い。
しかしそれ以上に、442連隊の活躍に今も感謝するヨーロッパ各国の人々や、何よりも「アメリカは一番いい国だ」「アメリカは素晴らしい」と語る元連隊員自身の言葉は明るい。
ここで描かれるのは、祖国アメリカのために誰よりも尽くし、勝ち得た平和を噛みしめて、年老いてなお戦争の辛さや戦友の死の悲しみを胸に、おごることなく暮らしている、幾人かの元兵士たちだ。
彼らの一人は云う、アメリカはチャンスの国だと。努力していれば、必ず報われると。
その希望に満ちた言葉を、日本人と同じ顔立ち、同じ性の人から聞くと、なにやら日本で閉塞した空気を感じている私たちにまぶしい光が差し込んだように思う。
私たちは、あんなにアッサリと「日本は一番いい国だ」「日本は素晴らしい」と語れるだろうか。
しかも彼らは、単純なナショナリストではない。日系人であるがゆえに、真珠湾攻撃以降、自国から敵性国民とみなされ、強制収容所に入れられた人々なのだ。その彼らがアメリカを「一番いい国」「素晴らしい」と云えるのは、たまたま生まれ育った国がいいところだったなんてことではない。自分たちがいい国にした、素晴らしい国にしたから、少なくともそれに命がけで貢献したからこそ口にできるのだろう。
彼らはまごうかたなきアメリカ人であり、星条旗をあしらったキャップを被って敬礼する姿は凛々しい。
私はこの映画が、もっと悲しく、辛い内容だとばかり思っていた。もちろん、そういう面もある。当事者が語る戦場の体験は、フィクションの戦争映画で表現し切れるものではない。戦争の傷は今も彼らの心に残り、「私はただの人殺しだ」と述懐する言葉は重い。それでも今を生きる彼らの姿は、それだけで輝かしい。
映画には、辛さや悲しみ以上に、感動と素晴らしさが詰まっている。
「アメリカは素晴らしい」と語る彼らの健全な愛国心が、私たち他国の人間をも高揚させるのだ。
だから、彼らのことを「日本とアメリカという二つの祖国の間で揺れ動き」なんて表現するのは正しくない。
彼らに祖国は二つもない。アメリカこそが祖国なのだ。彼らの一人は、日米開戦を耳にして、すぐに軍に入隊するために駆けつけたという。異郷の地で苦労する日本人なんて捉え方をしては、祖国防衛のために活躍した人々に失礼だろう。
そのことをよく判っていたのが東条英機だ。
当時学生だった元兵士は、校長が持ってきた手紙のことを語る。
東条英機は、日系人学生が通う学校に手紙を出していたのだ。その中で彼は、学生たちを激励している。「君たちはアメリカ人なのだから、アメリカのために頑張りなさい」と。
元兵士は、その内容に驚いたという。てっきり「アメリカにいても君たちは日本人なんだから、日本のために戦え」と書いてあると思ったからだ。
「なぜそんなことを書いたのだろう」と元兵士は考えた。そして一つの結論に達する。「サムライだからです。サムライは主君に忠義を尽くすものなのです。」
戦争中、日本の人々は「お国の為」に我慢をしたり命を落としたが、日系アメリカ人も「国の為」に行動したという話は興味深い。
すずきじゅんいち監督は、本作について次のように述べている。
---
「442連隊は日本の良さを表しています。日本に住む人に日本人の良さを再発見してもらいたい。わたしはアメリカに住むようになってから、かえって客観的に日本の良さがわかるようになったんです。それが本作のモチベーションの一つでした」
---
死んだ戦友のために線香を上げる彼らは、一世である親から受けたしつけや、諭されたことをよく守り、良き国民であろうとした。
そして、彼らが21個もの名誉勲章を得て、その勲功によりトルーマン大統領がじきじきに出迎えたということを、さらには米国のみならずヨーロッパの国々にも彼らに感謝し尊敬する人が今もなおいることを、同じ伝統を受け継いでいるはずの日本人も、もっと知って良いはずだ。
『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』 [や行]
監督・企画・脚本/すずきじゅんいち 音楽/喜多郎
日本公開/2010/11/13
ジャンル/[ドキュメンタリー] [戦争]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
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しかしそれ以上に、442連隊の活躍に今も感謝するヨーロッパ各国の人々や、何よりも「アメリカは一番いい国だ」「アメリカは素晴らしい」と語る元連隊員自身の言葉は明るい。
ここで描かれるのは、祖国アメリカのために誰よりも尽くし、勝ち得た平和を噛みしめて、年老いてなお戦争の辛さや戦友の死の悲しみを胸に、おごることなく暮らしている、幾人かの元兵士たちだ。
彼らの一人は云う、アメリカはチャンスの国だと。努力していれば、必ず報われると。
その希望に満ちた言葉を、日本人と同じ顔立ち、同じ性の人から聞くと、なにやら日本で閉塞した空気を感じている私たちにまぶしい光が差し込んだように思う。
私たちは、あんなにアッサリと「日本は一番いい国だ」「日本は素晴らしい」と語れるだろうか。
しかも彼らは、単純なナショナリストではない。日系人であるがゆえに、真珠湾攻撃以降、自国から敵性国民とみなされ、強制収容所に入れられた人々なのだ。その彼らがアメリカを「一番いい国」「素晴らしい」と云えるのは、たまたま生まれ育った国がいいところだったなんてことではない。自分たちがいい国にした、素晴らしい国にしたから、少なくともそれに命がけで貢献したからこそ口にできるのだろう。
彼らはまごうかたなきアメリカ人であり、星条旗をあしらったキャップを被って敬礼する姿は凛々しい。
私はこの映画が、もっと悲しく、辛い内容だとばかり思っていた。もちろん、そういう面もある。当事者が語る戦場の体験は、フィクションの戦争映画で表現し切れるものではない。戦争の傷は今も彼らの心に残り、「私はただの人殺しだ」と述懐する言葉は重い。それでも今を生きる彼らの姿は、それだけで輝かしい。
映画には、辛さや悲しみ以上に、感動と素晴らしさが詰まっている。
「アメリカは素晴らしい」と語る彼らの健全な愛国心が、私たち他国の人間をも高揚させるのだ。
だから、彼らのことを「日本とアメリカという二つの祖国の間で揺れ動き」なんて表現するのは正しくない。
彼らに祖国は二つもない。アメリカこそが祖国なのだ。彼らの一人は、日米開戦を耳にして、すぐに軍に入隊するために駆けつけたという。異郷の地で苦労する日本人なんて捉え方をしては、祖国防衛のために活躍した人々に失礼だろう。
そのことをよく判っていたのが東条英機だ。
当時学生だった元兵士は、校長が持ってきた手紙のことを語る。
東条英機は、日系人学生が通う学校に手紙を出していたのだ。その中で彼は、学生たちを激励している。「君たちはアメリカ人なのだから、アメリカのために頑張りなさい」と。
元兵士は、その内容に驚いたという。てっきり「アメリカにいても君たちは日本人なんだから、日本のために戦え」と書いてあると思ったからだ。
「なぜそんなことを書いたのだろう」と元兵士は考えた。そして一つの結論に達する。「サムライだからです。サムライは主君に忠義を尽くすものなのです。」
戦争中、日本の人々は「お国の為」に我慢をしたり命を落としたが、日系アメリカ人も「国の為」に行動したという話は興味深い。
すずきじゅんいち監督は、本作について次のように述べている。
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「442連隊は日本の良さを表しています。日本に住む人に日本人の良さを再発見してもらいたい。わたしはアメリカに住むようになってから、かえって客観的に日本の良さがわかるようになったんです。それが本作のモチベーションの一つでした」
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死んだ戦友のために線香を上げる彼らは、一世である親から受けたしつけや、諭されたことをよく守り、良き国民であろうとした。
そして、彼らが21個もの名誉勲章を得て、その勲功によりトルーマン大統領がじきじきに出迎えたということを、さらには米国のみならずヨーロッパの国々にも彼らに感謝し尊敬する人が今もなおいることを、同じ伝統を受け継いでいるはずの日本人も、もっと知って良いはずだ。
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監督・企画・脚本/すずきじゅんいち 音楽/喜多郎
日本公開/2010/11/13
ジャンル/[ドキュメンタリー] [戦争]


【theme : ドキュメンタリー映画】
【genre : 映画】