『ジュリー&ジュリア』 2人の対立は解消できるか?

 【ネタバレ注意】

 映画化に当たって、原作と原作者を批判的に取り上げるとは、ノーラ・エフロン監督も難題に挑んだものである。
 しかしそのために、二つの原作を用意して相殺させるのは、なかなか巧い手だ。

 『ジュリー&ジュリア』は、20世紀にフランス料理の本を書いたジュリア・チャイルドと、21世紀にブログを書いて作家になったジュリー・パウエルの、2人の足跡をたどった映画である。
 ジュリア・チャイルドは、夫の仕事の関係でヨーロッパに暮らしたことから、フランス料理を身に付ける。そして仲間とレシピを考案し、料理本を出版しようとする。
 ジュリー・パウエルは、ジュリアの本の読者である。本に書かれた524ものレシピにしたがって料理を作り、それをブログに綴っている。
 2人の人生が直接交叉することはない。
 映画は、50年の時を越えて、ジュリーとジュリアの暮らしを交互に映し出していく。あたかも2本の映画を同時に観ているような、ちょっと不思議な構成である。


 おそらくこの映画の企画は、ジュリー・パウエルのブロガーとしての成功を描こうとするところから始まったのだろう。
 『ユー・ガット・メール』で、Eメールのやりとりを題材にしたノーラ・エフロン監督だ。Eメールの次がブログとは、なんとタイムリーで判りやすい企画だろうか。
 しかし、映画の作り手は、ジュリー・パウエルの実話の映画化権を手に入れたものの、これだけでは映画にしにくい、というよりも、これだけで映画にすべきではないと考えたのだ。
 そのため、ジュリー・パウエルが敬愛した料理研究家ジュリア・チャイルドの人生も原作にすることで、時代を隔てた2つのストーリーが並行する形にした。
 そして、ノーラ・エフロン監督が感じた原作と原作者の問題点をオブラートにくるむため、料理のシーンやパーティーのシーンをたくさん挿入して、食が主題であるかのように見せかけた。

 ここはノーラ・エフロン監督の腕の見せどころである。
 ジュリア・チャイルドが料理学校で苦労したり、ジュリー・パウエルが狭いキッチン(といっても日本に比べれば特別な狭さではないが)で料理に苦労したり、それぞれの夫と苦悩する姿を取り上げて、観客がジュリアのこともジュリーのことも応援したくなるように描いている。
 こうして、2人の対立軸は、隠し味としてそっと仕込むにとどまる。


 隠し味とはいえ、ノーラ・エフロン監督にとって、その対立軸は見過ごせないものだったろう。
 ジュリーとジュリアの最大の違い、それは創作に対する取り組みである。

 ジュリア・チャイルドは、料理本を出版するまでに苦心惨憺している。
 数多くのレシピを考案し、それをフランス料理なんて知らない一般の米国人にも受け入れられるように、文章にしなくてはならなかった。彼女は、考案したレシピと執筆した原稿に自信と誇りを持ち、他人に剽窃されることを警戒していた。それは、原稿にわざわざ「TOP SECRET」と朱書きするほどだ。
 にもかかわらず、彼女の原稿は採用されず、長い年月のあいだ出版社をたらい回しにされた。ときには、せっかく膨大なレシピを考案したのに、「百科事典を出すつもりはない」と冷たく拒絶されてしまう。
 もしも映画が料理を主題とするのなら、レシピを考案する苦労を描けば良かったろうが、映画の中心をなすのは、せっかく考案して作り上げても、世の中の理解を得て発表するにはたいへんな困難が伴うという事実だ。
 ノーラ・エフロン監督も、創作者の一人として、ジュリアの並々ならぬ苦労に共感したことだろう。

 一方、現代のジュリー・パウエルは、ジュリアの本を読んだ結果をブログに綴るだけである。独自のレシピを考案したわけでもなければ、ジュリアのレシピを現代風に進歩させたわけでもない。
 ジュリアからすれば、ジュリーのやっていることには独創性もなく付加価値もないと見えるだろう。
 しかもジュリーは、何年も出版社を回ったり、発行人と丁々発止の駆け引きをするでもなく、たまたまブログのブームに乗って、出版社からオファーをもらってしまうのだ。
 作中では、なぜジュリアがジュリーを不快に思うのか詳しい説明はなされないが、ジュリアの立場からすれば当然のことだろう。

 もちろん、ブログを書けば誰でも人気者になれるわけではない。ジュリーには、毎日書き続ける根気や、人を魅了する文才があったはずだ。もしもジュリーが、本のレシピを書き写してブログに掲載したなら、権利侵害で揉めただろうが、さすがにジュリーもそんなことはしていない。
 しかしジュリーはジュリアから不快感を示されたまま、映画の中ではフォローしてもらえない。


 映画の作り手の態度も明らかだ。
 一見すると、映画はジュリーとジュリアを均等に扱っているように見える。
 しかし、クライマックスは?
 観客は、2人がどれほど苦労しようとも、それぞれ本を刊行したことを知っている。では、劇中で本を刊行して祝福されるのはジュリーかジュリアか、その両方か。

 誰が映画の中心かは、映画の構造からも判るだろう。
 最初のシーン、とくに誰を最初に登場させるかについて、映画の作り手は熟慮したはずだ。この映画はジュリアにはじまりジュリアに終わる。ジュリーのエピソードは、あいだに挿入されるだけだ。
 もちろん、現代のジュリーの方が観客にとっては身近な存在だし、共感しやすいのだから、逆の構造にもできたはずだ。現代のジュリーが料理本を手に取り、それから場面がジュリアの時代に飛んでいく……そんなオープニングにすることも可能だった。しかし映画は決してジュリアを「過去の人」とは扱わない。
 そしてジュリアがいなければ、今のジュリーはないことを強調している。

 この映画は、料理に関する本を出した2人の女性を対比しながら、創作とは何か、真にリスペクトされるべきは誰なのかを問うているのだ。


 実のところ、私はこの映画をブログで取り上げるつもりはなかった。
 ジュリアの本をネタにブログを書いて、作家になれたジュリー。しかし映画は(ジュリアは)、ジュリーを諸手を挙げて祝福してはいない。そんな映画をネタにブログを書くなど、あまりにも自爆行為であると思ったからだ。

 しかし、ブログに限らず、今後さまざまな方法で誰もが手軽に情報発信していく世の中で、これはきちんと向かい合わねばならない問題だ。
 独創性や付加価値や、リスペクトされるべきは誰かということについて、心したいと思う。


ジュリー&ジュリア [Blu-ray]ジュリー&ジュリア』  [さ行]
監督・制作・脚本/ノーラ・エフロン  原作/ジュリー・パウエル、ジュリア・チャイルド
出演/メリル・ストリープ エイミー・アダムス スタンリー・トゥッチ クリス・メッシーナ
日本公開/2009年12月12日
ジャンル/[ドラマ]
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