『THE LAST MESSAGE 海猿』 エンディングの秘密

 脚本家の福田靖氏は、他人を信じていないのではないか、と思うことがある。

 映画やテレビドラマにおいて、脚本は重要ではあるものの、あくまで構成要素の一つでしかない。だから脚本をいくら書いたところで、完成した映像作品への貢献は一部にとどまる。
 はたして脚本とは、監督への素材提供なのか、それとも脚本といえども一個の完成品を目指すべきなのか。

 たとえば、『おと・な・り』では、セリフの少なさに驚いた。
 セリフに書かなくても映像で語ってくれるだろうという、脚本家から監督と役者への信頼感が、そこにはあった。

 『悪人』では、原作者と監督が共同で脚本に取り組んだ。
 登場人物の心情を、セリフで伝えるのか演技で伝えるのか、それとも映像で伝えるのか、一緒になって考え抜いた結果があった。

 福田靖氏の脚本は、それらとは対照的だ。
 登場人物の気持ちをセリフでハッキリ書く。
 監督がどう演出しようと、役者がどんな演技をしようと、登場人物の気持ちが脚本家の意図どおり間違いなく伝わるように、すべてをセリフに書いておく。
 作品のクライマックスも、映像や音楽での盛り上がりには任せず、セリフで盛り上げる。
 だからクライマックスは、査問会での抗弁や、携帯電話での告白や、廃船式の演説等々、脚本に書き込んだセリフを語るシーンになる。

 それは一つの面白いスタイルだが、監督・演出家への信頼は感じない。
 同時に観客・視聴者への信頼も感じない。
 ハッキリと口で説明しないと観客・視聴者には伝わらない。おそらく氏はそう考えている。
 受け手に、読み取る力や考察する力があるなんて期待していない。

 だから、氏が脚本を書いた作品には誤解の余地がない。解釈の分かれることもない。
 セリフで繰り返し説明されるおかげで、受け手は全員同じことを理解する。

 つまり、受け手は思考力を駆使しなくても良いのだ。
 完全に受身になっていれば良い。
 知識や経験もいらないから、大人も子供も同じように感動できる。

 これこそ、ヒットを生み出す上で大事なことだ。
 皮肉でも何でもなく、福田靖氏の「考えるのは自分、受け手には考えさせない」という姿勢が、ヒットを連打できる理由の一つだろう。


 ただ、このような脚本を映像化するには、ある種の困難が付きまとう。
 上手く処理しないと、セリフが饒舌に感じられ、くどい作品だと思われてしまうからだ。

 その点、羽住英一郎監督は手際が良い。
 思考が停止している観客を、テンポの良い映像と音響で、作品世界へ連れ去ってしまう。
 特に、『LIMIT OF LOVE 海猿』に続く『THE LAST MESSAGE 海猿』は、前作同様に火や水が襲いかかるので、観客の目と耳に刺激的なシーンでいっぱいだ。光の明滅や、素早い動きや、激しい音響に観客の脳は刺激を受け続け、そこに妻への愛やバディへの熱い想いを語る言葉を繰り返し聞かされることにより、観客の気持ちは高ぶり、涙腺が決壊する。

 本作は典型的な「古い脳を刺激する作品」である。
 人間の脳には、論理をつかさどる新しい部分と、感情や意欲をつかさどる古い部分がある。いずれを刺激するかで、観客の受け止め方は異なってくる。
 理性に訴える作品と、感情に訴える作品と呼んでも良い。
 『THE LAST MESSAGE 海猿』は、もちろん後者である。観客の論理的思考を停止させ、感情を揺さぶる作品だ。
 「火急の際にしゃべってる場合か」なんて考えても意味はない。理屈がどうこうではなく、単純に「泣いた!」「感動した!」と反応すれば良いのだ。


 だから、本作が3Dで公開されるのは必然だ。
 感情を揺さぶるために、観客の脳への刺激を少しでも多く、少しでも強烈にする必要があるのだから。
 臼井裕詞プロデューサーも3D化の狙いを「より臨場感のある感動的な映像にするため」と述べている。
 もちろん2Dでも鑑賞には差し支えないが、脳への働きかけが異なるだろう。


 もっとも、どんな刺激やセリフに感情が揺さぶられるかは、個人差がある。
 文化が違えばなおさらである。
 興行収入71億円という大ヒットを記録した映画2作目『LIMIT OF LOVE 海猿』も、米国での反応は違ったそうだ。
 主人公が携帯電話を使ってプロポーズする感傷的なシーンに、日本中は大号泣だったが、ニューヨーク・アジア映画祭では「こんな状況下でケータイを4、5分も使いプロポーズまでする」彼に爆笑だったという。
 どうやら、日本人向けの刺激では、米国人の論理的思考を停止させることはできないらしい。

 彼我の差は、このシーンに限るまい。
 テレビシリーズの最終回では、要救助者を目の前にした主人公が、「一か八かやりましょう!」と無茶な方策を進言する。「一か八か」とは、サイコロ賭博の丁か半かのことであり、結果がどう出るか判らない状態を指す。
 それでも実行してしまうのは、70年前、日本に勝ち目がなくても意外裡な事が勝利に繋がると云って米国に戦争を仕掛けたことを思い出させる。

 また、『THE LAST MESSAGE 海猿』では、任務遂行のために、結婚記念のお祝いをすっぽかし、妻に黙って頑張る姿が描かれる。
 第二次世界大戦当時、日本人が「欲しがりません勝つまでは」と云って何ごとも我慢していたのに、米国人は戦場に娯楽設備を持ち込み、戦闘が終われば映画を楽しんでいたのを髣髴とさせる。


 しかし、福田靖氏の脚本と羽住英一郎監督の演出は、少なくとも日本人への効果は絶大だ。
 『THE LAST MESSAGE 海猿』でも、これまでの『海猿』シリーズと同様に、多くの観客が号泣していた。

 ここで一つの謎がある。
 羽住英一郎監督は、作品のエンドクレジットにメイキング映像を流すのだ。
 なぜこんなことをするのだろう?

 俳優たちがカチンコを持ってオチャラケているところなんて、観たい観客がいるだろうか。
 たった今、大きな感動をもたらしてくれた人々が、舌を出したり、ふざけたり、手を振ったりしているなんて、まったくの興醒めだ。白けることこの上ない。
 そんなものは、DVDの特典映像に収めてくれればよい。まだ感動の涙が乾かぬ観客にとっては、余計なオマケでしかない。そんなことを考えてしまう人もいるのではないか。

 実は、これこそ羽住英一郎監督の狙いである。

 映画の終わらせ方について、岡田斗司夫氏が『東大オタキングゼミ』で述べている。
 クライマックスの後に、後日談やら、淡々としたモノローグやら、空撮でだだっ広い風景が見えることやらを紹介して、こう語っている。
---
なんでそれが必要かというと、最高潮に引き上げた観客の感情を、クールダウンするためなんです。余韻を持たせるためにやってるようなフリをしますけど、本当に、お客さんが席を立つきっかけを与えるためなんです。これがないと帰れない。
---

 羽住英一郎監督は、映像と音響と熱いセリフの波状攻撃で、観客の感情を頂点まで高める。その高みは、並の映画よりはるかに高い。
 だから観客は感動し、号泣する。
 そして羽住監督は映画を感動的に結んでしまうので、観客の感情は行き場がなくなる。
 あまりにも感情を高ぶらせるために、ラストシーンだけではクールダウンできないのだ。

 だから、泣きはらしている観客に伊藤英明さんが手を振ったりして、興醒めさせる必要がある。
 観客が落ち着いて帰れるように、途中で事故など起こさぬように、白けさせる必要がある。

 そうでもしないとクールダウンできないほど、観客の感情を高ぶらせる自信が羽住監督にはあるのだ。
 感動のために席を立てない観客が、羽住監督の目には見えるのだ。

 事実、そこまでしても場内には席を立たずに余韻に浸っている人がいた。
 映画館側は、すぐに清掃して入れ替えを済ませないといけないのだから、席を立てないほど感動されては困るのに。

 羽住英一郎監督は、映画館のことも配慮しているのだ。


THE LAST MESSAGE 海猿 スタンダード・エディション [Blu-ray]THE LAST MESSAGE 海猿』  [さ行]
監督/羽住英一郎  脚本/福田靖
出演/伊藤英明 加藤あい 佐藤隆太 加藤雅也 吹石一恵 三浦翔平 濱田岳 時任三郎 香里奈
日本公開/2010年9月18日
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [ドラマ]
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【genre : 映画

tag : 羽住英一郎 福田靖 伊藤英明 加藤あい 佐藤隆太 加藤雅也 吹石一恵 三浦翔平 濱田岳 時任三郎

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