『小さな村の小さなダンサー』 踏み込まない理由

 【ネタバレ注意】

 実は、エンドクレジットを見て驚いた。
 中国ユニットのクルーの名がぞろぞろ出てきたからだ。
 もちろん、前半は中国が主要な舞台になるし、江青の記録映像も出てくるし、たしかに中国側の協力がなければ制作しにくい映画である。
 しかし、私は映画本編を観ながら、このオーストラリア映画は慎重に過去の中国を再現しているけれど、中国の協力なしに作ったのだろうと考えていた。

 なぜなら、毛沢東をおちょくる場面があるからだ。

 『小さな村の小さなダンサー』という邦題や、少年の顔写真をあしらったポスターや、少年時代を強調した予告編などは、まるで『リトル・ダンサー』にあやかろうとするかのようだが、本作の原題は『Mao's Last Dancer』であり、原作本の訳題『毛沢東のバレエダンサー』(文庫化に際して映画の邦題に改題)の方が、原題に沿っている。
 タイトルに毛沢東(Mao Zedong)の名を付けるくらいだから、作中でも何らかの形で毛沢東に触れないと、もしも毛を知らない観客がいたら置いてきぼりをくってしまう。

 そこで総領事館での場面になる。
 リーを助けるためにバレエ仲間が総領事館に居座る中、仲間の一人ディルワースが「ネコにミャア主席と名付けている」話を始めるのだ。そして、国家主席であった毛沢東の肖像画に向かい、「ミャア主席」と呼びかける。
 もちろんこれは、ネコの擬声語「mew」と「毛(Mao)」を引っ掛けているわけだが、その呼びかけは敬愛を込めてというよりはおちょくりである[*]。

 これにはいささか驚いた。
 いくら毛沢東の死去から四半世紀が過ぎ、中国が様変わりしているといっても、すべての紙幣に毛沢東の肖像を印刷している国だ。
 死刑判決を受けた江青の扱いが悪いのはいざ知らず、毛沢東をおちょくる外国映画に中国は協力しないだろう。

 そう思ったから、エンドクレジットで中国ユニットのクルーが紹介されて驚いたのだ。
 実際、中国政府からは撮影を反対されたという。

 そもそも、中国が舞台だからといって、中国で撮影しなければならないわけではない。
 『小さな村の小さなダンサー』の公式サイトによれば、主人公リー・ツンシンの故郷を撮影するために映画のスタッフが山東省を訪れたが、結局そこでは撮影しなかったそうだ。
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かつて彼が住んでいた地域はすっかり生まれ変わり、古い家は壊され、新しい家が目立っていたという。そこでスタッフたちは北京の郊外にある山間部でのロケを敢行した。プロダクション・デザイナーのハーバート・ピンターは、伝統的な中国の石造りで、リーの幼年期の家と村の学校を作り上げた。
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 北京の郊外すなわち河北省に家や学校を作ってしまうのなら、何も中国でロケしなくても良さそうなものである。たとえば『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』はペルシャといいつつモロッコで撮影している。
 だが、この映画の作り手は、中国の場面はきちんと中国で撮ることが大事だと考えたのだろう。
 本作から感じる誠実さと品格は、そんなところに由来するのかもしれない。

               

 『小さな村の小さなダンサー』が優れた映画であることには、誰も異論はないだろう。
 一人のダンサーの半生を通して、文化大革命という過酷な時代を描いた本作は、スリルと笑い、涙があり、家族の愛や友情があり、何よりも素晴らしいバレエシーンがある。そして物語の裏には、努力と才能、表現と自由についての問いかけがある。
 映像と音で物語る「映画」という媒体の特徴を最大限に生かした作品だ。


 だが、おそらく物足りなさを感じる人もいるだろう。
 リー・ツンシンの自伝に基づくこの映画には、あまり深く掘り下げず、軽く流してしまうところがあるのだ。
 それが、リー・ツンシンとエリザベスの結婚と別離である。

 1981年、中国に帰らず米国に残ることを選んだ20歳のリーは、エリザベスを愛しているから一緒にいたいのか、自由に踊れる米国にいたいのかを問われる。
 これに対して、リーは「愛する彼女がいるアメリカにいたい。」とずるい答え方をする。
 はたして、このときのリーの心中やいかに。

 結局、リーは祖国を捨てて、母や家族と別れてまで、「愛する彼女がいるアメリカ」を選んだのに、その彼女とはたった1年の結婚生活ののちに別れてしまう。
 米国に残りたいというリーに中国総領事が告げた言葉「東西の結婚は長続きしないぞ」を、地で行ってしまうのである。
 この部分こそ、リーの人生の大きな転機であり、彼が何を求め、何を目指していたかを端的に示す重要な箇所だ。

 しかし映画はあまり踏み込まない。
 それはおそらく、リーと、同じくダンサーを目指していたエリザベスの才能の差とか、エリザベスに自由の国アメリカへの憧憬を重ねていたリーの心情とか、リーへの想いと自分の夢とが天秤の左右に分かれてしまったエリザベスの苦悩とかを、えぐり出すことになるからだろう。

 リーもエリザベスも実在の人物であり、彼らを取り巻く人々も健在な今、あまりにも赤裸々に暴き立てるのはむご過ぎる。
 映画の作り手は、そう判断したに違いない。
 だから、土屋好生氏が隔靴掻痒(かっかそうよう)というのはもっともなれど、私はここに作り手の優しさと(対象への)誠実さとを汲み取りたい。


 劇中で詳しい説明はないが、公式サイトの年表によれば、亡命したリー・ツンシンが両親と再会できたのは1984年。趙紫陽首相が訪米、レーガン大統領が訪中し、また中英両国が香港の返還時期を決定するなど、中国と各国との関係が大きく進展した年である。
 個人は常に歴史のうねりの中にいる。
 いまのところ本作が中国で公開される予定はないけれど、いつの日か上映することがあるだろうか。


[*]当ブログをご覧になった方から、ピンインでの風刺について教えていただいた。
 ピンインとは、中国語の発音をラテン文字(いわゆるアルファベット)と記号で表したものである。
 ピンインで書くと、「毛」はmao、「猫」もmao。
 このことから、毛主席を猫に例えてからかうのはよくあるそうだ。


小さな村の小さなダンサー [Blu-ray]小さな村の小さなダンサー』  [た行]
監督/ブルース・ベレスフォード  脚本/ジャン・サーディ  原作/リー・ツンシン
出演/ツァオ・チー ジョアン・チェン ブルース・グリーンウッド アマンダ・シュル カイル・マクラクラン グオ・チャンウ ジャック・トンプソン カミラ・ヴェルゴティス
日本公開/2010年8月28日
ジャンル/[ドラマ] [伝記]
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