『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 キャスティングの謎

 【ネタバレ注意】

 『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』のキーパーソンは、ウィレム・デフォーだ。
 なのに、出番はとても少ない。顔を出すのは数カット。

 もちろん主人公はエミール・クストリッツァ演じるKGBの大佐だし、彼と一緒に出ずっぱりなのはギョーム・カネ演じるフランス人技師だ。
 1981年を舞台にしたこの映画は、二人のスリリングにして人間臭い行動を克明に描写する。
 主人公セルゲイ・グリゴリエフ大佐は、ソビエト連邦の諜報機関の要職にありながら、多数の極秘資料を持ち出し、フランス人技師ピエール・フロマンに渡す。
 諜報活動とは関係のないピエールは、嫌がりながらも次第に協力していく。

 この展開は、通常のスパイ物とは正反対だ。
 普通は、外国人やその代理人が、要職にある者に近づいて、嫌がる彼を説得/懐柔して資料を出させる。
 なのに本作の主人公は、みずから資料の持ち出しを始め、外国勢を協力させるのだ。

 したがって、反対勢力も通常とは逆だ。
 通常、資料を持ち出す主人公が恐れるのは、自国の防諜組織である。見つかれば死を覚悟しなければならない。
 もちろん本作でも自国の諜報機関は脅威であり、その手の内を知っている主人公だからこそ慎重に行動する。
 だが本作では、本来なら情報を入手して喜ぶはずの外国側に、主人公に対して懐疑的な者がいる。

 ここでウィレム・デフォーの出番である。
 このフランス映画には欧米各国の役者が集まっているが、その中でもウィレム・デフォーは最も知名度の高い俳優だろう。
 しかも彼は、傑作『ストリート・オブ・ファイヤー』のレイヴンをはじめとして、悪役・敵役を演じることが多い。

 だから彼がCIA長官として顔を出すのは意外だった。主人公がソ連から情報を持ち出すのを歓迎する立場だと思ったからだ。
 しかも、物語はあくまでソ連国内のセルゲイとピエールが中心だ。彼らの家族や同僚たちも物語に係るものの、遠く離れた米国のオフィスにいるCIA長官なんて、はっきり云ってチョイ役でしかない。
 そこになぜウィレム・デフォーを配するのか、少々不思議なくらいだった。

 しかし、やはりCIA長官は重要な役だった。ウィレム・デフォーならではの役どころだった。
 CIA長官のフィニーは、KGBのセルゲイとの対比のためにいたのだ。


 そもそもセルゲイが極秘資料を持ち出すのは、なぜか?

 それは彼が理想を持っているからだ。息子たちに受け継がせる国の姿を思い描いていたからだ。
 ところが、彼の考える国家像と、現状の自国とは、あまりにも乖離していた。
 そのため、彼は国を崩壊させようと考えた。極秘情報を他国に流して、自国を立ち行かないように追い込んだのだ。

 だからセルゲイは、自分が持ってるものを失うことを恐れなかった。
 彼の職場や社会は、崩壊した方がいいのだから。


 対してフィニーは、ソ連と敵対する国の諜報機関のトップだが、自分の持っているものを壊したいなんて、これっぽっちも思っちゃいない。
 せっかくCIA長官の座に就いたのだし、今後もこの座を去るつもりはない。
 ソ連の情報を収集し、分析するという勤めを、これからもきちんと果たすつもりだ。

 そんなフィニーからすれば、体制の崩壊を願うセルゲイは、正反対の存在だ。
 とても奇妙なことに、ソ連の情報を流すセルゲイと情報を集めるフィニーは利害が一致するはずなのに、片や現状打破を目指し、片や現状維持を目指す。方向が180度異なっている。
 フィニーがこれからもソ連の情報を収集し分析するためには、とうぜんながら「ソ連」が必要なのだ。「米国に敵対するソ連」がいないと、諜報機関の存在意義は霞んでしまう。ソ連があるとないとでは、予算の付き方も違うだろうし、彼の発言力も変わるだろう。

 この映画のフィニーは、既得権を持つすべての人の象徴なのだ。
 現状を維持しないと自分の居場所がなくなってしまう、そんな彼が肝だからウィレム・デフォーがキャスティングされたのだろう。


 いつの世の、どこの国でも同じことだ。
 他人には、無駄な仕事、不要な業務に見えることでも、その仕事に従事している当人にとっては大事なことだ。それが飯のタネだし、自分の居場所なのだから。
 自分から、「こうすれば私の仕事はなくせます」なんて主張する人はいない。

 企業を改革しようとするとき、もっとも抵抗するのは部長クラスだという。
 改革しても「社長」や「従業員」はなくならないが、改革によって部をなくしたら「部長」はいらなくなってしまう。だから部長クラスが組織防衛に走るので、実効性のある改革にならないのだ。


 『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』で興味深いのは、主人公が重要機関の高い地位にいるエリートだということだ。
 収入も役職も不足はないだろうし、それを維持すれば快適な暮らしが送れるはずだ。
 にもかかわらず、彼は自分の職場を、社会を、周囲の人々を、裏切ることを選んだ。
 他のスパイのように、金を要求することも、亡命して新しい暮らしを求めることもなかった。

 この「フェアウェル事件」が実話であることに驚くばかりである。



 1989年、冷戦が終結し、続いて1991年にソビエト連邦は解体した。
 しかし、このときを境に自殺率が急増する。
 先の記事で、日本の自殺率が世界第5位であると述べたが、2009年の時点で1~4位はすべて旧ソ連の国々である。6位以降の上位にも、旧ソ連は顔を出す。

 何かを崩壊させたら、新しいものを築かなければならない。
 その道もまた険しい。


フェアウェル さらば、 哀しみのスパイ [DVD]フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』  [は行]
監督・脚本/クリスチャン・カリオン  脚本/エリック・レイノー
出演/エミール・クストリッツァ ギョーム・カネ アレクサンドラ・マリア・ララ インゲボルガ・ダプコウナイテ ウィレム・デフォー
日本公開/2010年7月31日
ジャンル/[サスペンス] [ドラマ]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : クリスチャン・カリオン ウィレム・デフォー

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