『ペルシャ猫を誰も知らない』 何が相克しているのか?

 驚いたことに、イランでは犬も猫も外に連れ出すことはできないそうだ。家の中だけで可愛がらねばならない。
 『ペルシャ猫を誰も知らない』の公式サイトのインタビュー記事で、バフマン・ゴバディ監督はそう語っている。

 同じく公式サイトによれば、『ペルシャ猫を誰も知らない』というタイトルの「ペルシャ猫」とは、ペルシャすなわち現在のイラン・イスラーム共和国の若者たちを指すそうだ。
 おっしゃるとおり、私はイランの実情を知らない。

 だから、クルマに犬を乗せて走っていたら警察官に止められてしまうシーンにビックリした。
 バンドを組もうにも、女性が1人でボーカルをしてはいけなくて、複数人で(コーラスで)唄わなければならない[*]とか、驚きの連続である。

 そして、本作に登場するミュージシャンたちが、曲の演奏や発売を制限され、逮捕の危険と背中合わせに活動していることにも驚いた。
 我々が驚くのは、我々が住む国ではロックやポップスを聴いたり演奏したために逮捕されることなどないからだ。現に我々は毎日ロックやポップスを聴いており、人によっては演奏もしている。


 我々が住む国・日本は、ここ一世紀半ほど近代化を図ってきた。
 他の多くの国も近代化を進めている。
 この「近代化」は、実質的には「西洋化」だ。

 そしてロックやポップスは、西洋文化の代表選手だ。
 一口に西洋文化といっても様々だが、青少年への影響の大きさではロックやポップスが飛びぬけていることに、多くの人が同意するだろう。
 ここ数百年、西洋文化は世界を席巻しており、とくに産業革命以降の二百年は圧倒的である。
 ロックやポップスはその最先端に位置する。
 日本の人々は、ロックをはじめとする西洋文化にどっぷり浸っている。

 イランもかつては、近代化=西洋化を推し進め、脱イスラーム化を図っていた。
 ところが、その歩みを民衆がみずから止めたのが、1979年のイラン革命である。
 そのときを境に、シャリーア(イスラーム法)に反することは厳しく制限されるようになった。

 映画に登場するミュージシャンたちは、イランを脱出し、ヨーロッパで演奏しようとする。
 彼らは、ふたたびイスラーム化した故郷にあって、近代化=西洋化を体現する者だ。

 ここで注意すべきは、進行しつつあった「西洋化」の「西洋」とは、キリスト教社会だということだ。
 キリスト教は世界で最大の信者数を誇り、その特徴は云うまでもなく一神教であることだ。
 イスラーム(イスラム教)だって一神教だが、キリスト教とはずいぶん異なる。

 キリスト教の特徴について、松下博宣氏はこう述べている。
---
 大航海時代の歴史に接すると,「なぜ善良なキリスト教徒が残忍の限りをつくして原住民の大虐殺にいそしんだのか」と誰しもが疑問に思う。だが,神の命令だから虐殺するのである。それ以上でもそれ以下でもない。
(略)
 異教徒に接した航海者や宣教師は,確認のため,ローマ教皇あてに「異教徒は人間か否か」との問い合わせを頻繁に送った。その回答は,「人間ではないので,殺すも奴隷にするも自由である」ということが中心だった。よって神の命令の確証を得たキリスト教徒が現地を征服すると,原住民をいともたやすく滅ぼしてしまう。
---

 キリスト教では「隣人を愛せ」と教えるが、人のうちに入らない異教徒に愛は適用されないのだ。

 さすがに今日では、大航海時代と同じことが表立って行われているわけではない。
 しかし西洋文化に浸った者が、西洋文化に背を向ける者を見るときに、異教徒に接した航海者や宣教師と同じ視線になってはいないだろうか。
 ロックを聴いたり演奏したりは当たり前のことだから、ロックを制限するなんて「けしからん」、と。


 『ペルシャ猫を誰も知らない』を注意深く見ると、イランでもコンサートができないとかCDを販売できないわけではないらしい。登場人物たちは、許可が必要だと何度も口にしている。
 音楽活動をするには、イスラム文化指導省による歌詞等のチェックを受けねばならないのだ。
 イランは西洋化を阻み、イスラーム化を徹底するため、西洋文化の代表選手たるロックに神経を尖らせるのだろう。

 日本で活動するアマチュア・ミュージシャンにも、周囲の無理解に苦労した人は多かろう。
 本作では、どこの国でも味わう苦労(騒音問題や練習場所のなさ)と、イスラーム化と西洋化の相克を、渾然一体となったまま映し出す。


 ちなみに、同じ一神教でも、イスラーム(イスラム教)はキリスト教と事情が違う。
 ふたたび松下博宣氏の文を引用しよう。
---
 イスラームには「聖典の民」「啓典の民」を尊重するという制度,気風がある。すなわち,イスラームを信仰しないユダヤ教,キリスト教の信者でも,租税(人頭税)を払えば,従属的ながらも被保護者(ジンミー)というイスラーム共同体の一員として地位が保障される。イスラーム共同体維持のための貴重な財源として,ジンミーの役割は大きかった。

(略)イスラームへの改宗者があまりにも多く出てしまうと人頭税を徴収することができなくなってしまい,拡大したイスラーム共同体の台所,財政が枯渇してしまう。サラセン帝国の財政を健全化するために,むしろ,イスラームへの改宗を抑制する方策がとられたくらいだ。
---

 映画の中で、クルマに犬を乗せて走っていたら警察官に止められてしまうシーンにはビックリしたが、よく考えれば日本でも都市部では犬や猫を外に連れ出すことはあまりない。
 特に猫は外に出さない方が多いだろうし、犬だって室内で飼っている場合はごく短い散歩を除けばほとんど外に出さない。
 犬や猫を連れて移動するときも、キャリアやカートに入れることが多いだろう。

 イランにおいて、警察官にわざわざ犬連れを止めさせるような法律をなぜ制定したのか、映画では語られない。
 止められたあと、どうなったのかも説明はない。
 この映画では、主人公たちが何かを制限されるシーンを(背景説明なしに)積み重ねることで、彼らの不満や不安を浮かび上がらせる。
 たいへん効果的ではあるものの、危険な手法でもある。

 無許可の撮影を断行し、『ペルシャ猫を誰も知らない』を作り上げたことは称賛に値するが、一方の当事者の言い分だけでは、イランを知ることにはならない。

               

 そしてまた忘れてはならないのは、日本だって表現は制限され、作品を自由には発表できないということだ。

 日本でも発禁や放送禁止、あるいは一部が差し替えられた作品がある。
 映像作品では、『相棒』Season3の第7話や、『ウルトラセブン』の第12話が有名だ。
 最近も、映画『ぼくのエリ 200歳の少女』という素晴らしい作品が、日本公開にあたって無残な改変を受けた。
 我々は、日々音楽や映画を楽しんでいるが、接しているのは公表できたものだけであることを肝に銘じるべきだろう。

 戦前は、イランのイスラム文化指導省に負けず、日本にも検閲を行う情報局があった。
 いまではそんな機関はないものの、抗議の電話をする人々や、立ちふさがる団体や、プロデューサーの心配や、いろいろなものが作り上げた空気が、日本の表現を制限している。

               

 結局、『ペルシャ猫を誰も知らない』に出演したミュージシャンや監督は、国を出る道を選んだ。
 しかしゴバディ監督は、祖国に帰れる日は近いと信じている。

 たしかに、いずれイランも西洋化するだろう。
 人口の60%以上を24歳以下の若年世代が占めるイランにおいて、衛星放送やインターネットから流れ込む西洋文化を排除し続けるのは不可能だ。
 なぜなら、イスラーム社会よりもキリスト教社会の方が優位な点があるからだ。
 松下博宣氏は語っている。
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 イスラーム社会を比較宗教学など社会科学の立場から分析する際に,「イスラームでは宗教的な戒律,社会規範,国家の法律が一致している」としばしば指摘される。キリスト教の場合は,「神のものは神へ,カエサルのものはカエサルへ」という理念が進展して,アウグスティヌスの「神の国」「地の国」という二王国論へと継承され,「聖」と「俗」が分離されていった。
(略)
 ここで誰もが大きな疑問に直面する。一神教としての完成度の高さを誇るイスラームがなぜ近代国家を樹立できず,一方,多くの矛盾をはらんだキリスト教がなぜ近代国家を成立させることができたのであろうか。

 その理由の1つは立法権のあり方にある。最後の預言者ムハンマドが登場してしまった以上,これ以上預言者は現れない。すると「契約」の更改もありえない。近代の重要な社会システムである立法という機能とその展開において,イスラームは宗教的な戒律,社会規範,国家の法律が一致するため,伝統主義の足かせから自らを脱却させる自明の論理を容易には導き得なかったのである。
---

 他方、日本はイランに先駆けて近代化=西洋化を推し進めた。

 その日本は現在、人口10万人あたりの自殺者数が25.8人もいて、自殺率では世界第5位とトップグループに位置する(2009年のデータによる)。
 対してイランは、近年自殺が増加しているものの、まだ0.6人(2005年3月-2006年3月)とはるかに少ない。
 イランの自殺予防委員会のハサンザーデ委員長は「イランの自殺者の75%は報告されていない」と云うが、たとえそうだとしても日本より桁違いの少なさにとどまる。

 イランでは禁止されている女性ボーカルも日本ならできるけれど、日本人が幸福かは判らない。


[*]桜井啓子氏によれば、かつては女性コーラスも禁止だったそうだ。


ペルシャ猫を誰も知らない [DVD]ペルシャ猫を誰も知らない』  [は行]
監督・脚本/バフマン・ゴバディ  脚本/ロクサナ・サベリ、ホセイン・M・アプケナール
出演/ネガル・シャガギ アシュカン・クーシャンネジャード ハメッド・ベーダード
日本公開/2010年8月7日
ジャンル/[青春] [ドラマ] [音楽]

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tag : バフマン・ゴバディ

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