『ぼくのエリ 200歳の少女』 カメラの秘密

 『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者であり、脚本も担当したヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストは、公式サイトに短い会話を書きだした。

 「入っていい?」
 「入れてよ。」
 「どうぞ。」

 主人公たる少年少女、すなわちオスカーとエリは、こんな会話を繰り返す。
 粗暴な大人や級友たちに比べて、なんと丁寧で慎ましやかなことだろう。

 学校でも家庭でも「浮いている」オスカーにとって、唯一エリは同じペースで話せる相手だ。
 そしてオスカーがまともに見られるのもエリだけだ。
 
 オスカーの孤独と孤立を際立たせるため、カメラは多くのものをあえて写さない。
 母親も女性教師も、フレームに収まるのは肩から下ばかり。顔が映ることはない。
 フォーカスを合わせる対象はオスカーが注視したところだけで、他のものはすぐにぼやけてしまう。
 オスカーが見ている世界は、何と狭く小さいのだろう。
 多くのものが、オスカーの視界にあるだけで彼を苦しる。オスカーは視界に収めることを拒絶する。

 そしてオスカーは自分の姿すら正視できない。
 ガラスに映ったオスカーは、二重三重にぶれてしまい、何者なのか判然としない。
 カメラはオスカーの目となり、ぶれた姿を見つめ続ける。
 

 劇中、出かけようとするオスカーに、母親が声を掛ける。
 「テレビを見てればいいじゃない。」
 オスカーは振り向きもせずに答える。
 「テレビはつまらないよ。」
 母親は独りテレビを見続ける。
 「こんなに面白いのに。」

 テレビを面白いと思う人には、オスカーの孤独は判らない。
 みんなで同じ番組を見て、同じように楽しんでいればいいのだ。


 そんな中で、顔がはっきり映る女性はエリだ。
 オスカーがまっすぐ見られるのはエリしかいない。

 だからもう、オスカーはエリと一緒にいるしかないのだ。
 たとえエリが女の子じゃなくても。人間じゃなくても。


 「ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。あなたのエリより」

 エリの伝言を見て、オスカーははじめて抵抗することを知る。
 そのときを境に、母親の顔も女性教師の顔も、オスカーは見られるようになる。
 母親の怒る顔や頬笑む顔を、カメラは捉える。


 しかし所詮、エリが与えてくれた勇気でしかない。
 エリがいなければ持続できない。

 1982年、ストックホルム郊外のブラッケベリ。
 原作者の生まれ故郷であるこの街は、雪に覆われ、どこまでも冷たい風景が続く。
 悲劇をもハッピーエンドだと思わせるほどに。


ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]ぼくのエリ 200歳の少女』  [は行]
監督/トーマス・アルフレッドソン  原作・脚本/ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
出演/カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション
日本公開/2010年7月10日
ジャンル/[ホラー] [ロマンス] [サスペンス]
ブログパーツ このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録


【theme : ミニシアター系映画
【genre : 映画

tag : トーマス・アルフレッドソン カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション

最新の記事
記事への登場ランキング
クリックすると本ブログ内の関連記事に飛びます
カテゴリ: 「全記事一覧」以外はノイズが交じりますm(_ _)m
月別に表示
リンク
スポンサード リンク
キーワードで検索 (表示されない場合はもう一度試してください)
プロフィール

Author:ナドレック

よく読まれる記事
スポンサード リンク
コメントありがとう
トラックバックありがとう
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

これまでの訪問者数
携帯からアクセス (QRコード)
QRコード
RSSリンクの表示