『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 正直な映画

Manchester By The Sea [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は特別な一本だ。

 本作のプロットは、マサチューセッツ州出身の二人の映画人、マット・デイモンとジョン・クラシンスキーによるものだという。便利屋の男が、死んだ兄の遺した十代の息子の面倒をみることになる――というアイデアをマット・デイモンが出し、ジョン・クラシンスキーが舞台をマサチューセッツ州のマンチェスター・バイ・ザ・シーにするよう提案した。『プロミスト・ランド』(2012年)で制作・脚本・主演を務めるこの二人にプロデューサーのクリス・ムーアも加わって、マット・デイモンの初監督(と主演)作品として『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の準備が進められた。その過程で、マット・デイモンがケネス・ロナーガンに脚本化を依頼したのだ。
 しかし、ロナーガンが二年かけて脚本を書くあいだに、マット・デイモンは『オデッセイ』の主演等で忙しくなり、本作に関われなくなってしまった。マット・デイモンはプロデューサーとして、ジョン・クラシンスキーはエグゼクティブ・プロデューサーとしてのクレジットに留まり、監督はケネス・ロナーガンに、主演はマット・デイモンの幼馴染ケイシー・アフレックに託された。

 舞台となるマンチェスター・バイ・ザ・シーは、マサチューセッツ州エセックス郡にある人口五千人ほどの小さな港町だ。かつてはマンチェスターと呼ばれたが、同名の都市との混同を避けるため、1989年に町名を変更した。金持ちの別荘が並び、夏には行楽客で賑わう避暑地である。

 この町を捨ててボストンで暮らしていたリーは、兄の死によって驚くべき事実を知らされる。死期を悟っていた兄は、遺された子パトリックの後見人に自分を指名しており、パトリックの面倒をみるためにボストンからマンチェスター・バイ・ザ・シーに引っ越すための費用等まで準備していたのだ。
 マット・デイモンは云う。「問題は、彼にとって故郷に戻ることが、彼の人生における大きな悲劇と向き合うことを意味していたことです」。

 劇中、しかとは説明されないが、兄の遺言が弟リーに対する最大限の優しさであったことは明らかだ。壊れた心を抱えたまま、故郷を捨てて孤独に暮らすリーにとって、故郷に戻り、家族を持ち、町の人との関係を修復する最後のチャンスが自分の死であることを、兄は理解していたのだ。

 普通の映画なら、リーは兄の遺言に従って町に移り住み、周囲に心を開いていくことだろう。
 ところが本作では、リーの心は壊れたままだ。かつてはみんなと仲が良かったこの町に戻りながら、誰とも打ち解けず、摩擦ばかり生じさせて、パトリックとも衝突する。再会した元妻が涙ながら謝っても、リーは急いで立ち去ることしかできない。
 そして元妻の子供の存在や、兄の妻の現在のパートナーの存在は、失った時間が決して戻らないことを痛感させる。劇的なことは何も起こらず、地味な色合いの映像の中、心を閉ざしたリーの平坦な日々が淡々と描写される。この映画は137分もありながら、何の解決も示さない。結局リーは故郷に戻らないし、過去の悲劇と向き合えずに逃げてしまう。

 その素晴らしさに私は感嘆した。公式サイトに紹介されたプロデューサー、ケヴィン・J・ウォルシュの言葉が本作の素晴らしさをよく表している。
 「脚本を読みながら、僕は何度も泣いた。この脚本の正直さ、真実に心底感動した。だって現実には、物事はいつもきれいにまとまりはしないのだから。」

 人は何ごとにも物語を期待しがちだ。多くの物語は起承転結で構成され、納得のいく結末がある。物語は因果関係を説明したり、因果応報を見せつけたりして、受け手にカタルシスを味わわせる。
 このような定型から外れた本作は、物語としては破綻しているようにも見える。
 でも、それこそが素晴らしいのだ。それこそが人生の真実だからだ。


マンチェスター・バイ・ザ・シー Soundtrack 以前、何もかも放り出したまま終わってしまう『ローマ法王の休日』を観たときに、こんな映画があってもいいのではないかと書いた。

 私たちの周りは人を鼓舞する作品に溢れている。
 曰く、努力すれば報われる。辛いことは乗り越えられる。頑張ろう、前向きにいこう。
 それはそれで素晴らしいメッセージだ。そういう作品に勇気づけられる人もいるだろう。前向きな主人公に感動する人もいるだろう。

 けれどもそういう映画ばかりだったら、報われない人はどれを観れば良いのだろうか。辛いことを乗り越えられずにいる人は、どうすれば良いのだろう。傷心を抱えた人や、頑張れなかった人は、「頑張れ」「必ず良いことがある」という映画を観て楽しいだろうか。

 マンガ『ツレがうつになりまして。』に、鬱になったツレがテレビを見られないエピソードがある。特にテンションが高いバラエティーやワイドショー、歌番組が駄目で、登場人物が叱ったり叱られたりばかりのドラマ『渡る世間は鬼ばかり』は自分が説教されているようで一番苦手だったという。そんなツレでも大丈夫だったのが、喋り方が一定しているNHKの番組だった。

 アメリカ映画の多くはテンションが高い。ポジティブシンキング発祥の地だけあって、映画の登場人物は二時間ほどの上映時間の中で見事困難に打ち克ってみせる。
 だが、人によっては、そんな前向きなメッセージが眩し過ぎることもあるだろう。テンションが高くてついていけないかもしれない。そんな人も、劇的なことが起こらずに、平坦な日々を地味な色合いで淡々と描く『マンチェスター・バイ・ザ・シー』には安堵するのではないだろうか。

 本作のクライマックスは、兄の遺言に従って町に移り住み、パトリックの後見人としての責任を果たそうとしたリーが、パトリックに向かい合う場面だ。
 「乗り越えられない。」リーは観念したように云う。「済まない。」
 リーはマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ることを諦め、パトリックを兄の友人に預けてボストンに去ることにする。兄がみずからの死と引き換えに弟を立ち直らせようとした試みは潰えてしまう。
 乗り越えられないものは乗り越えられない。それを正直に告白することが――過去の多くの映画はあまりにも作り物めいていたと認めることが――この映画のクライマックスだったのだ。

 けれども、本作は絶望的でもなければ悲観的でもない。
 世界を見渡せば、同じような味わいの映画がないわけではない。悲しい出来事で心が壊れ、自分を責め続ける主人公が、それでも生きていく映画――デンマーク映画の『光のほうへ』や日本映画『そこのみにて光輝く』に、本作は通じるところがあるだろう。
 そして、これらの作品と同様に、本作もまた差し込む光が言葉以上に語っている。

 雪のボストンからはじまるこの映画は、初夏の日差しが降り注ぐマンチェスター・バイ・ザ・シーの海で終わる。
 かすかに、かすかにだが、映像は明るく、温もりを感じさせるものになっている。
 リーの頬は、わずかばかり緩んで見える。


Manchester By The Sea [Blu-ray]マンチェスター・バイ・ザ・シー』  [ま行]
監督・脚本/ケネス・ロナーガン
制作/マット・デイモン
出演/ケイシー・アフレック ミシェル・ウィリアムズ カイル・チャンドラー ルーカス・ヘッジズ グレッチェン・モル C・J・ウィルソン マシュー・ブロデリック ヘザー・バーンズ
日本公開/2017年5月13日
ジャンル/[ドラマ]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : ケネス・ロナーガン マット・デイモン ケイシー・アフレック ミシェル・ウィリアムズ カイル・チャンドラー ルーカス・ヘッジズ グレッチェン・モル C・J・ウィルソン マシュー・ブロデリック ヘザー・バーンズ

『LOGAN/ローガン』 二人の父の物語

Logan [Blu-ray] - Imported 【ネタバレ注意】

 ジェームズ・マンゴールド監督の作品にハズレなし。『LOGAN/ローガン』を観て、改めてそれを実感した。
 まして本作では、マンゴールド監督が原案も脚本も制作総指揮も手がける八面六臂の大活躍。これまでのスーパーヒーロー物とは一線を画す作品に仕上がっている。

 ジェームズ・マンゴールド監督といえば、『3時10分、決断のとき』で西部劇を復活させ、『ナイト&デイ』で60年代風スパイ・アクションを復活させ、『ウルヴァリン:SAMURAI』でアメコミ映画の枠組みを借りながらニンジャ映画とサムライ映画とヤクザ映画を取り上げるという、それはもう懐かしい娯楽映画の伝道師たる人だ。
 そんな彼が『LOGAN/ローガン』で取り組んだのは――名作西部劇への挑戦だった。


■「最後の西部劇」ならぬ、最後の……

ウルヴァリン:オールドマン・ローガン (MARVEL) 元になったは、『キック・アス』や『キングスマン』でお馴染みマーク・ミラーによって書かれた『ウルヴァリン: オールドマン・ローガン』だ。ヒーローが死に絶え、スーパーヴィランが跋扈するパラレルワールドの米国を、老いたローガンが盲目のホークアイとともに旅する西部劇風の物語。そこに他の著者による『ウルヴァリンの死(Death of Wolverine)』等の要素が混合されている。
 原作マンガではすでにウルヴァリンことローガンは死亡しているので、映画でローガンの死を描いてもおかしくはないが、ウルヴァリンとしての戦いの末に死亡する原作ではなく、老境のローガンを描いたオルタナティヴ・バージョン(異本)のマンガを元ネタにするとは面白い。

 本作の検討段階でヒュー・ジャックマンが例に挙げたのは、『レスラー』(2008年)や『許されざる者』(1992年)だったという。老いてなおリングに上がろうする父親の悲哀を描いた『レスラー』や、隠遁生活を送っていた老ガンマンが再び戦いの渦に巻き込まれる"最後の西部劇"『許されざる者』の雰囲気は、たしかに本作に受け継がれている。
 本作はロードムービーの形をとっているが、ロードムービーのコメディ『リトル・ミス・サンシャイン』(2006年)を血なまぐさくリアルなものにしたらと提案したのはマンゴールド監督であったという。


■X-MEN映画からの解放

 一応は、過去のX-MEN映画との繋がりも考慮されている。
 2016年の『X-MEN:アポカリプス』でミスティークとナイトクローラーの逃亡を助けた闇商人のキャリバンが本作にも登場し、アルツハイマー病を患うプロフェッサーXの世話をしている。敵対するザンダー・ライス博士は、『X-MEN:アポカリプス』においてローガンがストライカー大佐の研究施設で大暴れしたときに殺された科学者の息子だ。
 『X-MEN:アポカリプス』のエンドクレジット後のシーンでは、研究施設からローガンの血液サンプルや研究データを回収する様子が描かれていた。本作に登場するローガンの遺伝子を持つミュータントたちは、46年前のあの事件のときに回収された血液から作られたのだろう。

 とはいえ、マンガ『オールドマン・ローガン』は、パラレルワールドでの物語だから自由にできた作品だ。X-MENの映画がすでに八本(『デッドプール』を含めれば九本)もある中で、シリーズの一編として作ったのでは自由が利かないのは明らかだ(観客は、不老不死のはずのローガンがなぜアダマンチウム中毒を防げないほど衰えたのか、他のミュータントたちが死ぬほどのプロフェッサーXの発作とはどんなものだったのか知りたがるに違いない)。
 そこでマンゴールド監督がとった手段が、シリーズをメタフィクションにしてしまうことだった。

 20世紀フォックスは2016年の『デッドプール』でも第四の壁を破っているから、メタフィクションは経験済みだ。だが、『デッドプール』がスクリーンと客席のあいだにあるはずの見えない壁を破ってギャグを飛ばすのに対し、『LOGAN/ローガン』の手法は『サイボーグ009』に近い。

 『サイボーグ009』の「移民編」では、未来人が太古の昔にタイムトラベルし、人類の祖先になることが描かれた。なのに「天使編」では人類を創造した異星人が出現し、「海底ピラミッド編」でも別の異星人が人類を進化させたのだと語られた。どう考えても矛盾しているのだが、著者石ノ森章太郎氏はインタビューに答えて、すべては完結編で明らかになると説明していた。
 その完結編『Conclusion God's War』では、なんと冒頭で「移民編」も「天使編」も「海底ピラミッド編」も石ノ森章太郎の創作とされ、これから語るのが真の物語であるとされた(完結編の完成を待たずに石ノ森氏は亡くなられたが)。

 『LOGAN/ローガン』でも、劇中ローガンはX-MENのマンガ本を指差し、ここに書かれているのは真実じゃないと説明する。こうすることで、過去のX-MEN映画はマンガ本の中の作り話だったことになり(本作こそが現実の物語)、今後作られるX-MEN映画が本作と矛盾していても、それはマンガ本の中のこととして説明可能になった。
 マンゴールド監督は本作をシリーズ中の一編ではなく、単独の作品にしたかったそうだし、他のX-MENが劇中の年齢に応じて最適の役者に演じられてきた(たとえばプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアは、若い頃をジェームズ・マカヴォイが、中年以降をパトリック・スチュワートが演じた)のに対し、不老不死のウルヴァリンはいつでもヒュー・ジャックマンが若々しく演じねばならなかったから、どこかの時点で設定をチャラにする必要があったのだろう。


■主人公はまたしても足が悪い

 こうしてX-MENの作品世界から自由になった本作は、ではマンガ『オールドマン・ローガン』に忠実な映画化なのかといえばそうではない。『オールドマン・ローガン』には、20世紀フォックスが映像化の権利を持っていないアベンジャーズの面々が登場していて、20世紀フォックスには映画化できない。

 だが、西部劇の面白さを知るマンゴールド監督にとって、それはたいした障壁ではなかったろう。西部劇の要素がある『オールドマン・ローガン』を映画化できなくても、マンゴールド監督の頭にはたくさんの映画を観て蓄えたネタがたっぷり詰まっている。
 監督は前作『ウルヴァリン:SAMURAI』のときも、影響を受けた映画として西部劇の『シェーン』や『アウトロー』を挙げていた。本作では劇中に『シェーン』(1953年)の数場面が映し出され、シェーンのセリフも繰り返し紹介される。

 マンゴールド監督は本作が影響を受けた作品として、『シェーン』、『レスラー』、『リトル・ミス・サンシャイン』の他に、老カウボーイが少年たちと旅をする西部劇『11人のカウボーイ』(1972年)や、詐欺師と少女のロードムービー『ペーパー・ムーン』(1973年)、ベテラン刑事が襲撃をかわしながら女性を護送していく『ガントレット』(1977年)を挙げたという。

3時10分、決断のとき [Blu-ray] けれども、それらを差し置いて私が一番関連があると思うのは、他ならぬマンゴールド監督の2007年の映画『3時10分、決断のとき』だ。
 南北戦争に従軍して片足が不自由になった男が、細々と牧場を営んでいる。借金は返せないし、町の有力者からは嫌がらせを受けている。そんな彼が、遠く離れた町へ無法者を送り届けることになる。無法者は凶暴で手が付けられない上に、ボスを奪還しようとする手下たちが彼らを追撃する。一行を率いるべきピンカートン探偵社の老捜査官は頼りにならず、道半ばにして死んでしまう。ようやく目的地に到着するも、男は同行していた彼の子の目の前で撃たれる。子供は、命懸けで任務を果たした父を看取る。

 これはまるで『LOGAN/ローガン』のあらすじのようだ。
 ローガンの仕事は順調とは云い難く、チャールズの薬代にもこと欠くあり様だ。そんなローガンが送り届けることになったのが、凶暴で手のつけられない少女ローラ。彼らはローラを奪還しようとするサイボーグ部隊の追撃を受ける。かつてX-MENを率いていたチャールズは戦力にならず、道半ばにして死んでしまう。ようやく目的地に到着するも、ローガンは"彼の子"の目の前で殺される。子供は、命懸けで任務を果たした"父"を看取る。
 衰えたとはいえ人並外れた治癒能力を持つローガンが、片足だけは治らずに、いつまでも足を引きずっていることに疑問を覚えた観客もいるだろうが、あれは『3時10分、決断のとき』の主人公の引き写しなのだ。

 興味深いことに、『3時10分、決断のとき』はデルマー・デイヴィス監督の1957年の映画『決断の3時10分』のリメイクでありながら、ここに挙げた『LOGAN/ローガン』と『3時10分、決断のとき』の共通点がオリジナルの『決断の3時10分』にはない。オリジナルでは、主人公の足は悪くないし、道半ばで死ぬ老人はいないし、主人公と子供は一緒に旅をしないし、主人公は死なないし、だから子供が父を看取ったりしない。
 マンゴールド監督は、リメイク作『3時10分、決断のとき』に付け加えたオリジナル要素ばかりを『LOGAN/ローガン』にも持ち込んだのだ。もう一度取り上げずにはいられないほど強い想いがあったのだろう。

 その思いとは何だろうか。


■二人の父

 それこそ『LOGAN/ローガン』の中で二度も出てくるセリフが示唆するものだ。長々としたセリフを二度繰り返すなんて、滅多にないことである。
シェーン 日本語吹替版 アラン・ラッド ジーン・アーサー DDC-073N [DVD] それは映画史に残る名場面、『シェーン』の最後の別れの言葉だ。悪党を退治した早撃ちガンマンのシェーンは、一緒に帰ろうとせがむ少年にこう云い残す。

 「人には人の生き方がある。それは変えられない。一緒にいることはできないんだ……人殺しとは。元には戻れない。烙印が押されているから。もう戻ることはない。さあ、家に帰って母さんに……母さんに云うんだ、もう大丈夫だって。谷から銃はなくなったって。」

 名画『シェーン』の感動的なラストだが、よく考えるとこのセリフはおかしい。
 流れ者のシェーンを慕ってくれた少年と、シェーンが惹かれ合ったその母との名残を惜しむセリフの中で、シェーンは少年の父に触れないのだ。

 もちろん少年には父がいる。少年の母には夫がいる。悪党どもに屈せず、真面目に農作業に勤しむ立派な男だ。だが、一介の農夫でしかない彼は、嫌がらせする悪党どもを追い払えずにいた。
 そこにやってきた無敵のガンマンがシェーンだった。息子はシェーンを慕い、妻はシェーンに惹かれていく。主人公シェーンがひたすらかっこいいこの英雄譚は、真面目なだけで魅力に乏しい父が引き立て役になることで成立している。その父を演じたのは、なんと『決断の3時10分』でも貧乏な主人公を演じたヴァン・ヘフリンだった。

 ジェームズ・マンゴールド監督は、父親が引き立て役になっていることに引っかかりを覚えたに違いない。『3時10分、決断のとき』は、『シェーン』への返歌、いや『シェーン』のアンチテーゼになっている。
 無敵のガンマンは護送される無法者のほうだ。護送する主人公は、牧場経営に失敗し、息子たちの前で悪党を追い払えずにいる惨めな父親である。「誇れるものが何もない。」と云う主人公が、誰もが臆する護送任務を最後までやり遂げようとしたのは金のためではない。結果、彼は命を落とすことになるのだが、「これで良心を保てた」と云って、持ち続けていた妻のブローチを息子に渡す。
 息子は死にゆく父に寄り添い、「父さんはやり遂げたよ」と告げる。決して、無敵の早撃ちガンマンになびくことはない。

 『3時10分、決断のとき』とオリジナル『決断の3時10分』の最大の違いは、オリジナルが夫婦の物語であるのに対して、マンゴールド監督のリメイク作が父子の物語であることだろう。オリジナルでは、最後に登場するのは主人公の妻であり、命懸けの任務に臨んだ主人公と妻の愛の深さが描かれていた。

 この違いは、『LOGAN/ローガン』において二人の父を通してさらに強調される。
 本作には二組の父子が登場する。ローガンと娘のローラ、そして彼らを温かくもてなす農夫ウィル・マンソンと息子のネイトだ。
 農場を営むウィルは、周りの土地を買い占めた有力者から嫌がらせを受けている。彼は農場を続けようと頑張っているのだが、悪党どもを追い払えずにいた。そう、彼は『3時10分、決断のとき』の父と同じ、『シェーン』の農家の父と同じなのだ。
 一方、この家にやってきて悪党をたちどころに追い払うローガンは、まさにシェーンの役どころだ。

 けれども、本作はシェーンに当たるローガンをかっこよく引き立てはしない。暴力に頼って生きてきたローガンは、惨劇しかもたらさないからだ。

 マンソン一家の温かさに触れたチャールズ・エグゼビアは、ローガンに対して「君も家族の温もりを知るべきだ」と諭す。終盤、ローラにはじめて「父さん」と呼ばれたローガンは、「こんな感じなのか」とつぶやきながら死んでいく。このときのローガンは、シェーンの役どころではない。彼は『3時10分、決断のとき』の父であり、『シェーン』の父なのだ。

 真のかっこよさとは何なのか。
 17年にわたり無敵のヒーローとして描かれてきたローガン/ウルヴァリンは、最後の瞬間にシリーズ全体へのアンチテーゼを示した。

 それはまた、『LOGAN/ローガン』に登場する三人のウルヴァリンが示すことでもある。


Ost: Logan CD, Import■三人のウルヴァリン

 本作にはウルヴァリンに当たる人物が三人いる。

 一人はローガン(本名ジェームズ・ハウレット)だ。ウェポンXとして開発された彼は、X-MEN最強の武闘派で、長年"ウルヴァリン"のコードネームで活躍してきた。本作では、老いさらばえて戦いもままならないが、それでも戦い以外の生き方を知らない男として描かれる。

 もう一人は、ローガンの遺伝子コードから創造されたローラである。22回の失敗の後、X-23として誕生した彼女は、原作ではローガン亡き後"ウルヴァリン"の名を継いでいる。
 本作の冒頭、追跡部隊から逃げようとするローガンとは裏腹に、ローラが追跡部隊を片っ端から殺してしまうことでも判るように、若くてタフな彼女は戦闘力では老ローガンに勝る。戦闘マシーンとして生み出された彼女は、倫理も常識も知らず、ただ仲間への帰属意識だけで突き進む。

 三人目はX-24だ。生まれたときから成人のローガンと同じ体を持つ彼は、ローラ以上に完璧なローガンのクローンだ。誕生時に凶暴性を植え付けられ、戦い以外のことはしない。


 三人はそれぞれウルヴァリンのある面を象徴している。
 X-24はこれまでのウルヴァリンである。戦いを厭わず、人殺しの烙印を押されても気にしない。敵をやっつけることがかっこいいなら、彼こそヒーローと呼ばれるに相応しいかもしれない。
 ローガンも戦うばかりの男だったが、残念ながら体がついて来ない。老いた彼は、戦い続けることに限界を感じている。正真正銘ヒーローだったのに、キャリバンと友情を育むでもなく、孤独に浸っている彼は、戦うだけの男の末路を表している。

 ローラは未来だ。これから選択できる未来。彼女も暴力を振るうけれど、それはまだ何も判っていないからだ。烙印が押される前に多くを学ぶことで、戦うだけではない人生を掴めるかもしれない。

 「一緒にいることはできないんだ……人殺しとは。」

 X-24のように獰猛な獣になるか、ローガンのように老いてから気がつくか。すべてはこれからの学び次第だ。


Logan [Blu-ray] - ImportedLOGAN/ローガン』  [ら行]
監督・原案・脚本・制作総指揮/ジェームズ・マンゴールド
脚本/マイケル・グリーン、スコット・フランク
出演/ヒュー・ジャックマン パトリック・スチュワート ダフネ・キーン リチャード・E・グラント ボイド・ホルブルック スティーヴン・マーチャント
日本公開/2017年6月1日
ジャンル/[SF] [アクション] [ドラマ]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : ジェームズ・マンゴールド ヒュー・ジャックマン パトリック・スチュワート ダフネ・キーン リチャード・E・グラント ボイド・ホルブルック スティーヴン・マーチャント

『哭声/コクソン』 謎解きの先に

THE WAILING 【ネタバレ注意】

 恐ろしい映画である。

 『哭声/コクソン』を紹介するのは難しい。
 村人が次々に不審な死を遂げる本作はミステリーなのか。
 悪霊の仕業が疑われる異常現象が連続するのはオカルト映画なのか。
 怪人物が出没し、付け狙われるのはホラー映画か。
 思いもしない展開に観客は振り回され、気持ちを乱され、混乱する。
 ナ・ホンジン監督は無情だ。観客にカタルシスを味わわせようなんて、これっぽっちも考えていない。

 原題は『谷城(哭声)』。映画の舞台となる韓国の南西地方の谷城(コクソン)と、泣き叫ぶ声を意味する哭声(コクソン)を掛けている。
 『アシュラ』で強圧的な検事を演じていたクァク・ドウォンが、本作では一転して臆病者で直情的な警察官ジョングを演じる。韓国映画にまま見られるように、警察官はヘッポコ揃いだ。主人公ジョングも、殺人事件が起きているのに自宅でのんびり食事していたり、事件のあらましを家族にペラペラ喋ってしまったり。挙句の果てに、独断で一人の男を容疑者と決めつけ、男の家に不法侵入し、勝手に家探しする。実話に基づく『日本で一番悪い奴ら』で描かれた日本の警察並みのひどさだ。

 ジョングが直面するのは連続殺人事件である。普通の連続殺人ではない。連続殺人といえば、一般的には何者かが複数の人間を殺害する事件を指すだろう。だが、本作の場合は複数人を殺す事件が幾つも発生する。正気を失った男が一家惨殺事件を起こしたかと思えば、別の家では妻が家族を皆殺しにして首を吊る。夫が妻を、子が親を、手当たり次第に殺す事件が小さな村で次々に起こる。
 これらの事件は無関係なのか。それとも何か繋がりがあるのか。あるとすれば、何者の仕業なのか。

 ジョングが怪しいと睨んだのは、村外れの山に住み着いた日本人だ。村中、その日本人の良くない噂で持ちきりである。日本人が裸で山中を徘徊し、目を赤く光らせながら、鹿の肉を生のままむさぼるところが目撃されていた。
 ジョングと同僚の警察官が薄気味悪い日本人の留守宅を物色すると、出るわ出るわ事件との繋がりを匂わせるものがいっぱいだった。
 ショックだったのは、日本人の家にジョングの娘の靴があったことだ。次は娘が標的ではないかと怯えるジョングの懸念どおり、娘は不審な行動をとりはじめ、高熱を発したり、殺人事件の当事者と同じような発疹が出たりする。

 ここから映画は俄然オカルト色を帯びてくる。ジョングの義母の提案で高名な祈祷師を呼ぶと、娘を目にした祈祷師日光(イルグァン)はたちどころに悪霊の仕業であると見破った。祈祷師は、悪霊に支配された男――例の日本人――を退治すべく儀式を行うが、奇しくも同時刻に日本人も奇怪な儀式をはじめる。離れた場所で同時に行われる儀式は、念力がぶつかり合うサイキックウォーズの様相を呈し、その迫力は圧巻だ。

 犬や鶏が死に、血が溢れる展開には身の毛がよだつ。
 それ以上に恐ろしいのは、ジョングの行動がどんどんエスカレートしていくことだ。気の小さいジョングは、激昂すると手が付けられない。最初は日本人宅への不法侵入だったが、娘の様子がおかしくなると彼は日本人に出ていけと脅迫し、日本人宅の礼拝室を壊したり、犬を殺したりする。娘の正気が失われると、仲間とともに得物を手にして日本人宅を襲撃する。もはやジョングが警察官かどうかは関係ない。これは捜査でも何でもない。集団リンチを取り締まるべき立場の警察官が、娘を気遣うあまり、率先して外国人を襲撃しているのだ。

 「朝鮮人は、北も南も感情的に衝動的な人たちです。」1972年、中国を訪問した米大統領ニクソンは、周恩来首相にこう漏らしたという。「私たちは、この衝動と闘争的態度が私たち両国を困らせるような事件を引き起こさないよう影響力を行使することが大切です。」
 村中に殺し合いが蔓延し、自分の娘が被害者に、あるいは加害者になるかもしれない恐怖に駆られたジョングは、憑かれたように行動せずにはいられなかった。悪の原因をみずからの手で排除しようとする彼は、まさに「感情的に衝動的な人」だった。

THE WAILING 物語は二転三転し、クライマックスは三つ巴、いや四つ巴の戦いとなる。
 祈祷師イルグァンによれば、日本人が悪霊というのは見込み違いで、山中の日本人も村を悪霊から守る祈祷師だったという。そして、真の悪霊は事件の目撃者だと思われていた白服の女だとジョングに告げる。
 白服の女は、自分こそ人々を守ろうとしているのだと主張し、ジョングに祈祷師イルグァンの言葉には従うなという。
 他方、ジョングと行動をともにしていた助祭は、日本人こそ悪魔であると確信し、悪魔との対決に赴く。日本人は助祭の前で鋭い爪と尖った耳を露わにし、遂にその正体を見せはじめる。
 ようやくジョングの許に駆けつけた祈祷師イルグァンは、しかしジョングを救うでもなく、惨劇の様子を写真に撮ると、その場を去ろうとする。
 いったい何が真実なのか。誰が本当のことを云っているのか。日本人を襲ったのは正しい行為だったのか間違っていたのか。何もかもが藪の中。すべてを観客の判断に委ねて、映画は幕を閉じる……――


 ――という話では全然ない。

 本作は純然たるミステリーであり、きれいにスッパリ事件は解明される。
 淡々と流れるエンドクレジットを前に、茫然とする観客もいるだろうが、それこそ作り手の狙いどおりだ。監督・脚本を務めたナ・ホンジンの術中に落ちている。

 本作は構成が工夫されていて、すべてのヒントは冒頭に集約され、ラストには説明がない。だから、最後の謎解きを待っているとその期待が裏切られて、なんとも後味の悪い思いをすることになる。
 だが、監督は決してアンフェアではない。
 映画の冒頭に、事件の説明に代えて「ルカの福音書」第24章の言葉が掲げられている。
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彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
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 思えば、最初の事件の現場で、ジョングは奇妙なキノコを目にしていた。
 事件の当事者を調べた医者は、毒キノコの成分が大量に発見されたと述べていた。
 新聞やテレビは、毒キノコを原料にした健康食品を食べた人が、妄想にとらわれ凶暴化して周囲の人を襲う事件が頻発していると何度も報じていた。
 まさしく、鹿の肉をむさぼる日本人を目撃したと云う男は、健康食品を作る業者だったではないか。
 ジョングが教会の司祭に相談に行き、娘が悪霊に取りつかれてるという祈祷師イルグァンの言葉を伝えると、冷静な司祭は証拠もないのに決めつけるなと諭したではないか。
 事件はすでに解明されていた。
 なのにジョングは「キノコのはずがない」と思い込み、噂を信じて、よそ者を、悪霊を恐れた。

 滝に打たれて修行していた日本人は、真の修験者であろう。厳しい修行で身につけたはずの超自然的な「験力」を使い、凶暴化した人を鎮めようとしていたのだろう。
 助祭の目に日本人が悪魔のように見えたのも、健康食品を食べていたからだろう。
 劇中には鍼灸や漢方薬に頼るシーンがたびたび挿入され、村人が医者の診察よりも代替医療に頼りがちなことが示されていた。山で採れたキノコや鹿で作った健康食品は、さぞや村中に売れていたに違いない。特に毒キノコ入りはマジックマッシュルームのようなもので、法悦感が得られたのかもしれない。

THE WAILING 白服の女は犯行現場をうろついて遺留品(上着等)をせしめてるうちに、やはり健康食品の影響で、自分が事件解決のために現場を張り込んでいるような妄想に捉われたのだろう。
 白服の女は、ジョングに鶏が三回鳴くまで待てと云った。鶏が鳴くといえば、新約聖書に伝えられる「ペテロの否認」だ。イエスが捕らえられた後、ペテロは周囲の者に「あなたもイエスの仲間だな」と三度問われるが、ペテロは三度とも「そんな人は知らない」としらを切る。三度目に鶏が鳴くのを聞いて、ペテロはイエスの「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」という予言を思い出し、激しく泣いたという。このペテロの裏切りが、白服の女とジョングの問答の原型なのは明らかだ。ただし、「ペテロの否認」では三度繰り返すのはペテロなのに、本作では鶏が三度鳴くという。三度繰り返すのは嘘を意味するから、ここでは鶏が――すなわち鶏を三度鳴かせる白服の女が――嘘をついてることを示している。

 また、金に汚い祈祷師イルグァンが写真を撮っていたのは、事件のあらましを把握して、また商売に利用する気だったに違いない。初めてジョングの家に来たとき、甕の中のカラスの死骸を見抜いてジョングたちを驚かせたが、死骸はもちろんイルグァンが下調べの際に入れておいたのだろう。
 彼の場合は儀式でトランス状態に入るために、意図的に薬物を摂取していたのかもしれない。それでも、大量の血と嘔吐が噴き出す幻覚や、蛾の大群の幻覚には驚いたことだろう。

 朝鮮人が感情的に衝動的な人たちだなんて飛んでもない。ナ・ホンジン監督は、冷静に計算高く、観客を翻弄する。本作がオカルトじみた凶悪犯罪の映画だと思ってしまう観客こそ、感情的で衝動的なのではないか。
 ナ・ホンジン監督が本作を構想したのは、イエスがエルサレムに向かうときにユダヤ人がどのように受け止めたのかという思いからだったという。「この映画は混沌や混乱、疑惑について描いていますが、イエスは歴史上最も混乱を与え、疑惑を持たれた人物の中の一人ですよね。」國村隼演じるよそ者を日本人に設定したのは、"見た目は似ていても異邦人"である人物を通して、一見しただけでは敵なのか判断できない存在に対する「混同」を表現しようと考えたからだという。

 終盤、娘を救いたい一心のジョングが、何が悪かったのかと問うたとき、彼が云われるのが「娘の父親の犯した罪のせいだ」というセリフだ。他人を疑い、他人を死なせること。それが彼の家族へ悲劇となって返ってきたのだと。
 冒頭に掲げた「ルカの福音書」で謎解きを済ませた本作は、ただひたすらに不信と混同の先に待つ悲劇を描き続ける。悲劇を直視しなければ、ここから抜け出せないというように。

 「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしにさわって、よく見なさい。」


THE WAILING哭声/コクソン』  [か行]
監督・脚本/ナ・ホンジン
出演/クァク・ドウォン ファン・ジョンミン 國村隼 チョン・ウヒ キム・ファニ チャン・ソヨン
日本公開/2017年3月11日
ジャンル/[サスペンス] [ミステリー] [ホラー]
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