『彼女がその名を知らない鳥たち』 あなたも知らないかもしれない

映画「彼女がその名を知らない鳥たち」オリジナル・サウンドトラック Soundtrack 誰もが指摘するだろうが、『彼女がその名を知らない鳥たち』が強烈なのは、登場する人物がことごとく嫌な連中だからだ。
 公式サイトの作品紹介でも、「嫌な女・十和子、下劣な男・陣治、ゲスな男・水島、クズすぎる男・黒崎」「共感度0%、不快度100%」と謳っている。こんな宣伝の映画は滅多にないが、本当だから仕方がない。
 いつもトゲトゲしい十和子に感情移入する人はいないだろうし、その十和子から軽蔑される陣治(じんじ)も不潔で甲斐性がなくて好きになれない。食事中に靴下を脱いで、足の指のあいだをボリボリ掻いているなんて、十和子でなくても一緒にいたくない下品な男だ。松坂桃李さんが演じる水島や、竹野内豊さんが演じる黒崎も、嘘つきで卑怯者で、せっかくのハンサムが台無しな最低男だ。

 俳優陣の演技の素晴らしさと、映像の切れの良さと、ストーリーのテンポの良さで、飽きることなく観ていられるが、共感度0%、不快度100%の映画は正直しんどい。
 と、思っていたのだ。ラストの直前までは。

 『彼女がその名を知らない鳥たち』を観終えた今、十和子が哀れで、愛おしくてならない。陣治の優しさに、度量の大きさに感動せずにいられない。なんという映画を観せてくれたのだ。
 ことごとく不快で下劣に感じられた陣治の行動が、振り返ってみれば目一杯考え抜いた彼なりの愛し方だった。不快過ぎて、こんなの見たくないと思っていた出来事の数々が、今はとても感動的な大切な場面に思える。
 この反転の見事さ、巧みさ。

 そして、思いを馳せるのだ。陣治が十和子と暮らした五年の歳月に。それがいかに幸せであったろうかと。
 十和子に罵倒され、毛嫌いされる日々なのに、彼には生き甲斐があっただろう。その愛の形が正しいかどうかは判らない。でも、とてつもない愛を抱いて、とことん尽くしていることに、彼は満足だったはずだ。
 「僕、知っとるんです。十和子を幸せにできるの、僕だけやて。」
 陣治だけが断言する言葉に、嘘偽りはなかったのだ。
 これは汚らしいマンションの一室で育まれた、美しい愛の物語だ。


彼女がその名を知らない鳥たち (幻冬舎文庫) 私は白石和彌監督に失礼を詫びねばならない。映画の途中までずっと、あまり上手い演出ではないと考えていたからだ。
 十和子が天井から落ちる砂を幻視するシーンや、現在の十和子が過去の回想の中に入り込むシーンを目にして、こういうイメージシーンは感情を表現し易いけれど、安易に使うとリアリティを損なうな……などと考えていた。そのシーンの目的が、リアリティを損なうことにあるのに気づかなかった。これらのシーンで十和子の精神的な不安定さを描いておくことの必要性が、まるで判っていなかった。
 映画を観終えた今にして、細部に至るまで緻密に考え抜かれた演出だったことに感心している。

 特筆すべきは、相手によって態度が豹変する十和子の多面性を極めて自然に表現した蒼井優さんと、狂気と愛のはざまのギリギリのところを演じた阿部サダヲさんの演技の確かさだ。そして、それを引き出した白石監督の手腕。もう一度映画を観直せば、二人の演技はすべてが違って見えてくるだろう奥の深さ。


 ときにネタばらしになることを恐れずに感想を書く私でも、さすがにこの映画の内容を書くのは気が引ける。だから、できる限り曖昧に、ぼんやりした書き方のまま本稿を終えたいと思う。

 本作は共感度0%、不快度100%、なのに噛めば噛むほど愛おしい。
 彼女がその名を知らない鳥たち――。十和子はそんな鳥がいることさえ知らずに生きてきた。はたして、私たちは周りの鳥たちをどれだけ知っているだろうか。


映画「彼女がその名を知らない鳥たち」オリジナル・サウンドトラック Soundtrack彼女がその名を知らない鳥たち』  [か行]
監督/白石和彌
出演/蒼井優 阿部サダヲ 松坂桃李 竹野内豊 村川絵梨 赤堀雅秋 赤澤ムック 中嶋しゅう
日本公開/2017年10月28日
ジャンル/[ミステリー] [ロマンス]
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【genre : 映画

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『僕のワンダフル・ライフ』 生きる目的

A Dog's Purpose (Blu-ray + DVD + Digital HD) 犬の気持ちも観客の気持ちも、本当によく判っている!
 『僕のワンダフル・ライフ』には感激した。

 犬を題材にした映画は多い。ジャンルも犬の扱いもそれぞれだから一概には云えないが、大半の映画は犬と関わる人間のドラマだ。あるいは人間を犬に擬して、人間で描きたいことを犬に演じさせたファンタジーだ。観客が人間なのだから、犬を出しても人間ドラマにするのは間違っていない。それらの中には素晴らしい作品もたくさんある。

 だが、判ってないな~と思うことも少なくない。犬の映画に来る観客には、犬が好きな人が多いだろう。犬好きにとって人間は脇役なのだ。犬が人間のそばにいるところを見たいのではなく、ましてや人間のように思考して人間のように振る舞う犬が見たいのでもない。犬らしい、犬そのものをいっぱい見たいのだ。

 犬好きが重視するその最大のポイントを、しっかり押さえてくれるのがラッセ・ハルストレム監督だ。前作『マダム・マロリーと魔法のスパイス』のように異文化、異国の人々に丁寧に配慮した映画を作るハルストレム監督は、相手が人間でなくてもその存在を最大限に尊重する。同監督の『HACHI 約束の犬』は、犬好きを感服させるとともに、大泣きさせる映画だった。そして本作『僕のワンダフル・ライフ』は、『HACHI 約束の犬』以上に犬目線で、犬主体の犬ドラマだった。素晴らしい!!

 本作はベイリー、バディ、ティノ、エリーといった犬たちが、人間と交流しながら生きていく物語だ。彼らにとって人間が大切な存在であるときもあれば、そうでもないときもある。本作のベイリー、バディ、ティノ、エリーは同じ犬の生まれ変わりという設定なので、彼らの人間への接し方が変わるわけではない。犬はいつでも愛情たっぷりなのに、人間のほうがそれに応えられないことがある。
 本作は、そんな人間との暮らしを、ベイリー(あるいはバディ、ティノ、エリー)のモノローグで楽しく楽しく綴っていく。モノローグの連続がなぜ楽しいかといえば、犬は楽しい生き物だからだ。犬は全力で遊び、全力で甘え、全力で舐める。犬目線であれば、何もかも楽しい。本作はその様子をあますところなく描き出す。

A Dog's Purpose (Blu-ray + DVD + Digital HD) 子供の頃、働く犬のことを知った私は、なぜ犬が働くのか判らなかった。牧羊犬はなぜ羊を誘導するのか。警察犬はなぜ行方の知れない人を探すのか。いかなる義務感、使命感を持ってやっているのか、それをどうやって躾けるのか、不思議でしようがなかった。やがて犬と接する機会ができて、犬の動機がなんだか判った気がする。犬は楽しいからやっているのだ。羊を追うのが楽しいから、牧羊犬は走るのだ。宝探しをするのが楽しいから、警察犬はそこら中を嗅ぎまわるのだ。彼らはいつだって全力で遊んでいるのだ。

 『僕のワンダフル・ライフ』が素晴らしいのは、犬は本当にこういうことをするな、たしかにこう思っているんだろうな、という、その迫真の度合いが半端ではないからだ。そして、好きなら顔を舐めればいいのに、どうしてこの男女は舐め合わないんだろう、といった人間観察が、ユーモアたっぷりで鋭いからだ。一緒にいれば楽しいのに、一緒に遊べば楽しいのに、なぜ人間にはそれができないのだろう。


 原始、人間はオオカミに餌をやり、一緒に狩りをするようになった。オオカミは狩りの役に立ったから、人間は彼らとともに過ごすことが多くなった。飼い慣らされたオオカミが、やがて犬になった。そんな通説に反論するのが、進化人類学の研究者ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズ夫妻だ。夫妻は、犬の助けがなくても人間は他の大型肉食動物より狩りに秀でていたこと、人間は狩りで競合する肉食動物を生かしておかず、オオカミも絶滅に追い込んでいることを挙げ、人間の側にオオカミと共存する必然性はなかったと説明する。
 人間が彼らを選んだわけではないのだ。彼らが人間を選んだのだ。食料と安全な居場所を提供してくれる存在として。代わりに彼らが人間に与えたのが、愛情だ。楽しい時間だ。モフモフした彼らがそばにいるだけで、人間は癒される。

 犬の一生は短い。個体差はあるものの、せいぜい14~15年くらいしか生きていない。対する人間は何十年も生きるから、たいていの場合、犬は死ぬまで人間に面倒を見させることができる。ここは犬の身勝手なところだ。彼らは残された人間がどんなに悲しむかも知らずに、とっとと逝ってしまうのだ。犬からたっぷりと愛情をもらっていた人間にしてみれば、急にその供給が途絶えるのだからたまったものではない。まれに人間が先に逝くと、犬は大パニックに襲われるという。それほど犬と人間との絆は強い。

A Dog's Purpose (Blu-ray + DVD + Digital HD) 本作の原作小説『野良犬トビーの愛すべき転生』は、愛犬を亡くした恋人のために書かれた物語だという。
 短いあいだしか生きられなかった犬だけど、どこかで生まれ変わって平和に暮らしているんじゃないだろうか。今、目の前にいる犬は、一緒に暮らしたあの犬の生まれ変わりじゃないだろうか。犬を亡くした人ならすがりつきたくなるようなそんな思いを、形にしたのがこの物語だ。
 生まれ変わりなんて本当にあるのか?
 そんなことはどうでもいいのだ。残された人間には物語が必要だ。やがて別の犬と暮らしたとしても、それは前の犬に対して申し訳ないことじゃない、悪いことをしてるんじゃない、そう肯定してくれる物語が必要なのだ。
 犬と引き裂かれたままでは、人間は死んだも同然だから。


 本作の原題は『A Dog's Purpose(犬の目的)』。題名が示すとおり、主人公の犬が生まれ変わりを繰り返しながら生きる目的を探求する、哲学的な作品だ。
 生まれ変わりを通して、主人公は何度も一生を送りなおす。あるときは他の犬に恋をして、暖かな家庭を持つのが目的だと思う。またあるときは警察犬になり、任務を全うした喜びを人間と分かち合いたいと思う。
 他方、人間は過去の出来事に囚われて苦しんだり、未来に起りそうなことに喜んだり、見込みが潰えて絶望したりと、過去や未来のことに気持ちが左右されてばかりいる。一緒にいれば楽しいのに、独りで過ごしていたり、わざわざいがみ合ったりする。

 様々な境遇を経て、ベイリーがたどりつく結論はシンプルだ。

 「ただ今を生きる。今を一緒に生きる。それが犬の目的。」
 (Just be here now. Be - here - now. That's it. That's a dog's purpose.)

 たしかにそうだ。
 人間も犬とおんなじだ。地球上の生きとし生けるものに違いがあろうはずがない。これは人間にとっても真理であろう。


A Dog's Purpose (Blu-ray + DVD + Digital HD)僕のワンダフル・ライフ』  [は行]
監督/ラッセ・ハルストレム
出演/ブリット・ロバートソン K・J・アパ ジョン・オーティス ペギー・リプトン デニス・クエイド ジョシュ・ギャッド
日本公開/2017年9月29日
ジャンル/[ドラマ] [犬] [ファミリー] [ファンタジー]
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【theme : 心に残る映画
【genre : 映画

tag : ラッセ・ハルストレム ブリット・ロバートソン K・J・アパ ジョン・オーティス ペギー・リプトン デニス・クエイド ジョシュ・ギャッド

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』には脱帽だ

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』オリジナル・サウンドトラック 【ネタバレ注意】

 『猿の惑星』シリーズのリブート第一作『猿の惑星:創世記』(2011年)に、私はいささかの不満があった。旧シリーズに濃厚だった人種差別や人権問題を重視する姿勢が、リブート版からはあまり感じられなかったのだ(詳しくは「『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』に欠けているもの」を参照されたい)。

 代わって『創世記』が強調したのは、自然破壊の問題であり、科学技術に依存することへの批判だった。猿たちは虐げられた人種や民族のメタファーというよりも、人間のエゴイズム――自然破壊の犠牲者として描かれた。
 それはそれで重要な観点だが、何も『猿の惑星』シリーズでやらなくてもいいのではないか。人種差別や人権問題への目配りができなくては、旧シリーズの精神に反するのではないか。そう考えて、『創世記』にはあまり満足できなかった。

 しかし、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』はまったく違う。まるで旧シリーズと同じ1960~1970年代の映画のような風刺と反骨精神に満ちており、差別や人権の問題にどっぷりと入り込んだ作品だ。
 リブート第一作『創世記』では、猿たちが自分の置かれた境遇を自覚するまでが描かれた。続く第二作『新世紀(ライジング)』での、猿の国の勃興と人間との対立を経て、本作では自由を求める猿たちと守旧派たる人間たちとの壮絶な戦いに突入する。

 とはいえ、「War for the Planet of the Apes(猿の惑星のための戦い)」という題名にもかかわらず、本作はアクション満載の戦闘シーンでスカッとさせる映画ではない。猿たちは人間たちに捕らえられ、鎖で繋がれ、労働を強制され、ことあるごとに鞭で打たれる。それは、許しがたい奴隷制度の復活だ。戦いとは、奴隷の身分におとしめられた猿たちが、知恵をめぐらせ、人間に抵抗することを指している。そしてまた、戦争の愚かさ、憎しみ合うことの虚しさに気づいていく"内なる戦い"でもある。


 驚くべきは人間側の設定だ。それはマカロー大佐に率いられた、白人男性を中心とする冷酷無比な軍隊だ。
 白人男性を全体主義的圧制者として描くのは珍しくない。典型的なのがスター・ウォーズ・シリーズだ。このシリーズでは、白人の男性で構成された帝国軍に、女性リーダーの下に集まった種々雑多な種族からなる反乱同盟軍が挑んでいた。
 ただ、お揃いの黒い軍服に身を包んだ帝国軍は、明らかにナチス・ドイツをモチーフにしていた。第二次世界大戦後に全体主義下の軍隊を描く映画が、ナチス・ドイツに材をとるのはとうぜんであったろう。
 『聖戦記』の特徴は、ナチス・ドイツとの戦いに勝利した、自由と平等の国であるはずのアメリカを、全体主義的な圧制者として据えたことだ。大佐の軍隊は星条旗を掲げ、米国の国歌を奏でている。映画の作り手は、米国とて差別と全体主義から自由ではないと訴えているのだ。
 通常、米国の映画ではこういう風に星条旗を扱わない。過去の記事で述べたように、映画に出てくる星条旗は自由と平等の象徴であり、多くの場合、勇気をもって気高い行為に及ぶものが見上げる旗として描かれる。
 米国に限るまい。自国の旗を、悪の軍団の象徴として掲げる映画には、なかなかお目にかからない。

 大佐の軍隊の目的は、病気の人間を根絶やしにして、健康な人間だけで生き延びようというものだ。病気の人間だけでなく、それを邪魔立てする者も生かしてはおかない。優生思想、選民思想を歪めた考え方だが、人々の多様性を許さず、一定の型にはめようとする(はまらない人間は攻撃する、排除する)動きは、残念ながら現実にまま見られる。
 米国もまた、その病魔に侵されている。映画の作り手たちの危機感は、並々ならぬものがあるのだろう。

 しかも、大佐の軍隊のマークはΑΩ(アルファオメガ)だ!兵士たちはΑΩの入れ墨を彫り、星条旗にもΑΩをスプレーで書き、隊列を組んで「我々は最初であり、最後である!」と唱和している。私はその描写に溢れ出る作り手たちのアナーキーさにぶっ飛んだ。
 ΑΩ(アルファオメガ)は新約聖書に見られる言葉だ。Α(アルファ)はギリシャ文字の最初の文字、Ω(オメガ)は最後の文字であり、「ΑΩ」は「最初から最後まで」、「すべて」を意味する。新約聖書の「ヨハネの黙示録」には、「私はアルファであり、オメガである。はじめであり、終わりである。」という主の言葉が書かれている。すなわち、ΑΩはキリスト教に深く帰依する者が崇める言葉であり、「私は――」とみずからを主語にして口にするとき、その者は神なのだ。それが狂信的な一団のスローガンとなっている。
 多くの米国人が大切にしているもの――国家と宗教――を、これほど皮肉たっぷりに歪めて描く映画は滅多にあるまい。

 ΑΩは、旧シリーズ第二作『続・猿の惑星』に登場するコバルト爆弾に書かれていた文字でもある。この映画では、コバルト爆弾が世界の終末(最後の審判の日)をもたらす装置とされ、狂信的なミュータントたちの信仰の対象だった。
 本作ではさらに進んで、信仰の対象に留まらず、ΑΩが他者を抹殺する軍隊の思想的原動力になっている。

 そんな、国家主義と信教の強制を唱える軍団に、人権を奪われ、奴隷扱いされてきた種々雑多な種族(ここではチンパンジーやゴリラやオランウータン)が団結して戦いを挑むのが本作だ。掲げられていた星条旗は、火に包まれて地に落ちる。
 国家への不信感と、伝統的価値観への反逆に彩られた本作は、まさに1960~1970年代の公民権運動や反戦運動の記憶を甦らせるものである。

               

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン3 猿の惑星 聖戦記 光沢プリント 本作のストーリーが旧約聖書の「出エジプト記」から「申命記」までを下敷きにしているのは明白だ。
 奴隷として虐げられる人々。偉大なリーダーが民を引き連れて圧制から逃れるが、豊かな大地を目の前にしてリーダーは死んでしまう。これはモーセがユダヤ人を引き連れてカナンの地を目指した物語そのままだ。
 とすると、シーザー率いる猿たちは、旧約聖書を信奉するユダヤ人のメタファーでもあろう。一方、新約聖書の言葉を過大に解釈して自由と平等を妨げているアルファオメガ軍団は、キリスト教系の過激派だ。米映画界にユダヤ人・民主党支持者が多いことを思えば、本作は、キリスト教右派と彼らに支援されている共和党勢力と戦いながら、民主党の目指す社会を打ち立てようとする話にも見えてくる――と考えるのは、うがち過ぎだろうか。

 同時に、本作はマカロー大佐が抱える苦悩と壮絶な決意をも描き、悪魔のような人物であっても勧善懲悪で切り捨てることはできないのだと世の中の複雑さを訴える。

 こんな映画を観ると、米映画界の、ひいては米国社会の度量と心意気に圧倒される。
 その凄さは彼我を置き換えてみればよく判る。この映画がやっていることを日本に置き換えれば、日の丸を掲げて「君が代」斉唱を強制し、靖国神社で軍人のコスプレをするような悪の軍団を相手に、アイヌや在日コリアンを彷彿とさせる人々が団結して戦いを挑む話になろう。あるいは、技能実習制度の名の下で人身取引や強制労働にさらされた外国人が蜂起するようなものか。そんな映画を170億円近い大金を投じて作るわけだ。日本ではスポンサーがつきそうもないし、たとえ制作できたとしても、物議を醸して上映に苦労するのではないだろうか。

 国旗や国歌には人それぞれの思いがあるだろう(あるいは何も思うところはないだろう)。それをとやかく云うつもりはない。私が『猿の惑星:聖戦記』を観て感心するのは、こんな強烈な映画でも作れること、こんな映画でも社会に受け入れられることだ。
 人種差別や人権問題に目配りした旧シリーズの精神はどうしたんだ、と考えていた私の不満は、完全に払拭された。

               

 旧シリーズの登場人物と共通するコーネリアスやノバ等の名前や、×印の磔台といった意匠を散りばめたり、オランウータンを指導的地位に就けたりして、旧シリーズとの一体感を醸し出そうとしている本作は、他にも多くの映画の記憶に彩られている。
 もっとも目につくのは、1979年の『地獄の黙示録』の影響だろう。捜索の旅の末にたどり着いた辺境の地に、禿げ頭の「大佐」が支配する軍隊が独自の世界を作っている。それは『地獄の黙示録』にそっくりだ。アルファオメガ軍団のアジトには、『Apocalypse Now(地獄の黙示録)』をもじった「Ape-ocalypse Now(地獄のサル黙示録?)」なんて落書きまで書かれている。
 そうかと思うと、終盤では映像の色合いや編集が1950年代風になり、モーセの生涯を描いた『十戒』(1956年)の影響を隠そうともしない。実に面白いディレクションだ。

 本作はまた、リブート第一作が言及した自然と人間との関わりについても忘れてはいない。
 ただしそれは、科学技術を進歩させることを批判的に捉えたり、人間活動の犠牲として自然を描いたりするものではない。本作が描くのは、人間のやることなどしょせんちっぽけなものでしかないということだ。本作の終盤で、人間たちは大自然の力――大雪崩――の前にひとたまりもなく壊滅してしまうのだ。
 これこそ、自然に対峙したときに描かれるべきことだろう。結果的に猿たちを助けた大雪崩は、「出エジプト記」における海割れの奇蹟(モーセたちを追ってきた軍が海に呑まれて全滅する)に相当するものだが、聖書の物語と大自然の壮大さとを同時に表現する展開は見事である。

 そして本作は、素晴らしい世界の建設を次の世代に託して幕を閉じる。
 それがはかない望みかもしれないことを、猿と人間の立場が逆転しただけで結局は階級社会になってしまった旧シリーズを見てきた私たちは知っているのだが、自由と平等を求める気持ちはいつだって消せないのだ。


『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』オリジナル・サウンドトラック猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』  [さ行]
監督・脚本/マット・リーヴス  脚本/マーク・ボンバック
出演/アンディ・サーキス ウディ・ハレルソン スティーヴ・ザーン アミア・ミラー カリン・コノヴァル ジュディ・グリア テリー・ノタリー ガブリエル・チャバリア タイ・オルソン
日本公開/2017年10月13日
ジャンル/[SF] [アクション] [ドラマ]
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【genre : 映画

tag : マット・リーヴス アンディ・サーキス ウディ・ハレルソン スティーヴ・ザーン アミア・ミラー カリン・コノヴァル ジュディ・グリア テリー・ノタリー ガブリエル・チャバリア タイ・オルソン

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