『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と『サニー 永遠の仲間たち』、少し『タクシー運転手 約束は海を越えて』

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track Soundtrack 2018年公開の日本映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は、韓国映画の傑作『サニー 永遠の仲間たち』を、『モテキ』『バクマン。』の大根仁監督がリメイクしたのだから鉄板だ。歌あり、ダンスあり、恋と喧嘩と友情あり。懐かしい1990年代のヒット曲に乗せて、ついホロリとさせられる、とても素敵な作品だ。

 ストーリーは原作映画とほぼ同じである。主人公たち六人組の暮らす現代と、彼女らが回想する高校時代を並行してたどりながら、ままならない人生の切なさと仲間たちとの輝かしい日々を描き出す。
 映画冒頭のテレビ番組で安室奈美恵デビュー25周年を報じていたから、劇中の「現代」は2017年だ。主人公・奈美が淡路島から転校してきた理由が、阪神・淡路大震災で父の職場が壊滅したためなので、「高校時代」は1995年であろう。これは2017年に40歳になった女性たちの物語なのだ。

 韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』は、映画公開の2011年を現代として、25年前、すなわち1986年の高校時代を振り返っていた。
 両作品は同じような設定で、時代もそれほど異なるわけではないが、映し出される光景はまるで違う。『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は必ずしも1995年でなく前後2~3年でも構わなかっただろうが、『サニー 永遠の仲間たち』が振り返るのは、どうしても1986年でなければならなかったはずだ。


タクシー運転手 約束は海を越えて [Blu-ray] かつて、軍事独裁政権に支配され、民主制からほど遠かった韓国では、民主化運動が盛んだった。
 特に全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍がクーデターで実権を握った後に起きた1980年の光州事件は、諸外国にも衝撃を与えた。韓国南部の光州市で、民主化を要求する市民たちと軍・警察が衝突、激しい抗争に発展し、多くの民間人が殺されたのだ。
 韓国は戒厳令下にあったため、何が起きているのかはっきりしたことが判らない中、危険を冒して光州市に潜入し、軍に武力鎮圧される市民の姿を映像に収めて日本国に脱出したのが、ドイツ公共放送連盟東京支局の特派員ユルゲン・ヒンツペーターだった。彼の活躍により、光州市の惨状を世界が知ることになる。

 "青い目の目撃者"と呼ばれるヒンツペーター記者と、彼を乗せたタクシーの運転手キム・サボクの決死行をモデルに映画にしたのが『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)である。
 外信記者を乗せて民主化のために走り回っていたというキム・サボクが、映画では金に困った冴えない親父キム・マンソプとして描かれたり等の違いはあるが、独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)が倒された後の民主化ムードを一瞬で吹き飛ばし、新たな軍事独裁政権の幕開けを告げた光州事件の衝撃を、この作品はよく表している。
 (相対的に)自由と民主主義に溢れる隣国日本を対置させることで、独裁政権下の韓国の危険と不自由さを感じさせたのも印象深い。

サニー 永遠の仲間たち デラックス・エディション Blu-ray 光州市民を弾圧した後、オリンピックの誘致等で国民の目をくらましていた全斗煥政権であったが、激しい反政府運動に押され、遂に1987年6月に与党側から民主化宣言を出すことになる。
 『サニー 永遠の仲間たち』の舞台である1986年は、民主化宣言が出る直前だ。この映画では、民主化運動の闘志たる兄が登場したり、少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされたりして、少女たちの生き様と、自由と民主主義を渇望する国民の戦いが重なる構図になっている。

 すなわち、『サニー 永遠の仲間たち』は、主人公の女性たちが高校時代を懐かしむだけの映画ではないのだ。彼女たちの回想を通じて、韓国の市民一人ひとりが軍事独裁政権下の生活と圧制に抗した日々を想い起し、あるいは当時生まれていなかった若者は政府と戦う勇気と先人の苦労を知り、いま手にしている平和と民主主義の大切さを噛みしめる作品なのだ。
 だからこそ、40代女性の回顧映画に留まらず、国民みんなの共感を得て、韓国で740万人を動員する大ヒットになったのだろう。

 

 日本版リメイクの『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と同じく2018年に公開されたベトナム版リメイク映画『Thang Nam Ruc Ro』(眩しい五月)も、韓国版の構図に似ている。
 ベトナム版は、時代を2000年と1975年に設定している。25年を隔てた二つの時代を描くのは韓国版と同じだが、ベトナムで1975年といえばベトナム戦争最後の年だ。こちらの映画は、1975年4月30日にサイゴン政権が崩壊する前の南ベトナムを舞台に据えて、ゴ・ディン・ジエム大統領の圧制に対抗するべく結成された南ベトナム解放民族戦線とサイゴン政権が戦った動乱の時代を振り返る。南北ベトナムの統一後、経済発展を続ける平和な現在と対比しながらだ。

 このように両国版とも国民すべてに関係する社会の変化を踏まえた作りになっているが、日本版はそのような歴史的・社会的な視点を持ちえない。日本国には、よりよい社会にしようと皆が立ち上がり、自由と平和を獲得した国民共通の思い出がないからだ。
 代わりに『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、1990年代の風俗ファッションだ。本作は、"コギャル"と呼ばれた当時の女子高生の生態図鑑になっている。

 とはいえ、それこそが大根仁監督の狙いであろう。
 本作をつくるに当たり、大根仁監督は「90年代後半、20世紀最後のどんちゃん騒ぎを象徴する存在である“コギャル”のことはいつか物語にしたいと思っていました。彼女たちがアラフォーになる今、機は熟したのかなと。」と述べている。

 原田眞人監督のテレビ映画『盗写 1/250秒 OUT OF FOCUS』(1985年)を愛し、映画『SCOOP!』(2016年)としてリメイクしたほどの大根監督にとって、いつか物語にしたいと思っていたコギャルのこととは、原田監督がコギャルを描いた1997年の『バウンス ko GALS』に返歌を送ることだったのかもしれない。
 いくらコギャルの映画を撮りたくても、1990年代ならともかく21世紀にそんな機会がそうそうあるはずがない。しかし、40代の女性が高校時代を振り返る『サニー 永遠の仲間たち』の手法を使えば、そしてコギャル世代が40歳前後になる"今"ならば、コギャル映画を世に送り出すことが可能だろう。大根監督はそう考えたのではあるまいか。

 

【チラシ付き、映画パンフレット】SUNNY 強い気持ち 強い愛  本作が描くのも「革命」なのだと大根仁監督は云う。
 「日本版で描かれるのは、女子の革命。決して周りに合わせることなく、ギャル自らが自分たちのルールと価値観を作った“ガールズ・ブラボー”な時代です。オヤジたちにNOを突き付けて波風を立て、男社会の中でアイデンティティを確立しようとした彼女たちが、女子の在り方を変えたとも言えます。」

 残念なのは、よしんば90年代がガールズ・ブラボーな時代だったとしても、女子の革命であったとしても、それが国民みんなの共通の思い出ではないことだ。

 たとえば本作は、韓国版の七人組「サニー」を六人組に減らしている。転校生のナミを奈美へ、リーダーのチュナを芹香に、保険の外交員になる太っちょのチャンミを不動産営業の梅に、金持ちと結婚するジニを裕子に、ミス・コリア志望のおしゃれ好きなポッキを美容師志望の心(しん)に、モデルの美少女スジを奈々に置き換え、原作に忠実に対応させながら、本作はメガネの文学少女クムオクだけを消してしまった。原作の個性的なメンバーを一律コギャルに置き換えた中に、コギャルらしからぬ文学少女の占める場所はなかったのだろう。
 90年代にもメガネの文学少女はいたと思うが、本作は女子高生の物語にするだけでなく、女子の範囲をも狭めてしまった。

 たしかに七人組は多すぎかもしれない。韓国版は124分の中にエピソードがぎゅう詰めで、かなり目まぐるしい展開だった。日本版同様118分のベトナム版も、六人組に改変している。余裕をもって描くなら六人がいいとこなのだろう。
 だが、一人でも多くの観客に共感してもらうには、できるだけ多くの人生模様を描きつつ、共通項を見出したほうがいいはずだ。
 コギャル文化の掘り下げに集中した本作は、韓国版のスタンスとはまるで逆だ。


 クムオクを削ったことで弱まったものは他にもある。
 貧困の描写だ。
 奈美(=ナミ)は高給取りの夫と暮らす主婦、芹香(=チュナ)はビジネスに成功した大富豪、裕子(=ジニ)は金持ちと結婚して玉の輿と、大人時代の彼女たちは裕福な暮らしぶりを見せつける。本作には生活にゆとりがない梅(=チャンミ)や、転落人生を歩む心(=ポッキ)も登場するが、心がアルコール依存症を病んでいるせいもあり、貧困問題より生活のすさみ方が気になってしまう。
 韓国版では、ここに家族の厄介者になっている無職のクムオクが加わることで、否応なしに貧富の差が浮かび上がるようになっていた。

 日本で90年代に高校生といえば、就職氷河期に直面した、いわゆるロスジェネ世代だ。思うように就職できず、低収入を強いられる人が多かった世代である。
 この二十数年、日本国で起きているのは貧困層の増加と格差の拡大、そして階級社会化だ。
 韓国版に負けず劣らず、日本版でも貧困問題を取り上げる余地はあったと思うのだが。


 かように、韓国版と日本版では、ストーリーがほぼ同じでも印象が大きく違う。
 少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされ、国民みんなが一体となって戦う様子を演出した韓国版の乱闘シーンは、日本版では遊園地のプールの出来事になった。水着姿ではしゃぐ客たちに交じって、水鉄砲を撃ったりする少女たちは、喧嘩というより楽しいじゃれ合いのようだ。とても国民みんなの戦いには感じられない。

 韓国の観客は、老若男女誰もが『サニー 永遠の仲間たち』の少女たちに、その後ろで民主化のために戦う学生・市民たちに声援を送り、拍手喝采したに違いない。
 日本映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を観ながら、日本国には皆で社会をこんなに良くしたんだと振り返る思い出がないのかと、さみしさを噛みしめた。


「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track SoundtrackSUNNY 強い気持ち・強い愛』  [さ行]
監督・脚本/大根仁
出演/篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 小池栄子 ともさかりえ 渡辺直美 池田エライザ 山本舞香 野田美桜 田辺桃子 富田望生 三浦春馬 リリー・フランキー
日本公開/2018年8月31日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [音楽]
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『インクレディブル・ファミリー』 世界は女で回ってる

【チラシ付き、映画パンフレット】 インクレディブル ファミリー 【ネタバレ注意】

 2004年公開の『Mr.インクレディブル』は、スパイアクションの傑作だった。ジョン・バリーが音楽を手がけた頃の007シリーズ、その音楽にそっくりな曲に乗せて、アクションと秘密兵器をてんこ盛りにした映画だった。
 ちょうど本家007シリーズの空白期間に公開されたこともあり(『007/ダイ・アナザー・デイ』を最後にピアース・ブロスナンがジェームズ・ボンド役のシリーズが終わり、ダニエル・クレイグが『007/カジノ・ロワイヤル』でジェームズ・ボンド役に就く前の時期だった)、痛快スパイアクションを渇望する観客を楽しませてくれた。
 ブラッド・バード監督が大作スパイアクション映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の監督に招かれたのも、もっともな面白さだ。

 その上『Mr.インクレディブル』は、超人的な能力を持つスーパーヒーローチームの物語でもあり、親子、夫婦の不和を乗り越える家族の物語でもあった。


■インクレディブル・ファミリーの原型

ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] [Blu-ray] インクレディブル一家が、アメコミ史上初のスーパーヒーローチームである『ファンタスティック・フォー』(テレビアニメの邦題は『宇宙忍者ゴームズ』)を模しているのも楽しい。

 Mr.インクレディブルのネーミングは、もちろんファンタスティック・フォーのリーダー、Mr.ファンタスティックが元ネタであろう。けれども体が頑丈で怪力を持つところは、ファンタスティック・フォーのメンバー、ザ・シングからのものだ。

 Mr.ファンタスティックのゴムのように伸び縮みする能力は、こちらではMr.インクレディブルの妻イラスティガール(弾力女子)のものになっている。

 ファンタスティック・フォーの紅一点、インヴィジブル・ガールの透明化能力とエネルギーシールドを作る能力は、Mr.インクレディブルとイラスティガールの娘ヴァイオレットに受け継がれている(ヴァイオレットの名は、Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールの娘ヴァレリアのもじりだろうか)。

 Mr.インクレディブルとイラスティガールの長男ダッシュの「若い男の子がスーパーヒーロー」というコンセプトは、ファンタスティック・フォーの最年少メンバー、ヒューマン・トーチに通じる。ただし、ヒューマン・トーチの能力、すなわち全身から火を放ち、空中浮揚するところは、ダッシュの弟ジャック・ジャックが再現していた(ダッシュの超高速で動ける能力は、DCのフラッシュ又はマーベルのクイックシルバーから)。
 ジャック・ジャックが多様な能力を秘めているところは、Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールの息子フランクリンのようでもある(ちなみに、「ジャック」はバード監督の息子の名)。

 Mr.インクレディブルの友人であるスーパーヒーロー、フロゾンは、そのツルンとした外見や、みずから発生させた氷の上をスノーボードで疾走する姿から明らかなように、ファンタスティック・フォーの友人で、サーフボードで空中を疾走するシルバーサーファーに相当しよう。フロゾンがインクレディブル一家にあそこまで肩入れするのは、ファンタスティック・フォーとシルバーサーファーの関係が下敷きにあればこそだ。

 Mr.インクレディブルの敵シンドロームも、かつて敵ではなかったのにMr.インクレディブルを逆恨みして敵対したり、超能力がなくても各種の科学兵器を発明して強敵たり得るところなど、Mr.ファンタスティックを逆恨みした天才科学者ドクター・ドゥームを踏襲したキャラクターに違いない。


Mr.インクレディブル MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]■「途方もない家族」の物語

 さて、『Mr.インクレディブル』という題名だとMr.インクレディブルだけが主人公のようだが、原題は『The Incredibles』。「途方もない人たち」という意味と、「インクレディブル一家」という意味を掛けたものだろう。ブラッド・バード監督がかつて手掛けたアニメ番組『ザ・シンプソンズ』(シンプソン一家)と同様のネーミングだ。
 だから続編『Incredibles 2』の邦題が『インクレディブル・ファミリー』になったのは、より原題の意味に近くなって喜ばしい。これなら「インクレディブル一家」という意味にも取れるし、「途方もない家族」と解釈することもできる。

 そして『インクレディブル・ファミリー』は、前作に負けず劣らず充実したスパイアクションだ。
 21世紀を代表するスパイアクション映画『ミッション:インポッシブル』シリーズでも最大のヒットとなった第四作『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』を監督しただけあって、ブラッド・バードのスパイアクションの腕は冴えている。冒頭から前作のクライマックスを凌ぐほどのアクションが炸裂し、そこから一転、陰謀がインクレディブル一家を巻き込むサスペンスを経て、最後は一大スペクタクルが待ち受ける。主演がトム・クルーズでもおかしくない、豪快なアクション大作だ。

 『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の次にブラッド・バード監督が手掛けた『トゥモローランド』(2015年)は、これまた面白くて素晴らしい作品だったのに、興行的に振るわなかったのは残念だ。
 シリーズ物よりオリジナル作品を優先するブラッド・バード監督は、『ミッション:インポッシブル』シリーズ第五作のオファーを断り、『スター・ウォーズ エピソードVII/フォースの覚醒』の監督も断って『トゥモローランド』に専念したのに、結果的にディズニーに大赤字を負わせてしまった。
 『トゥモローランド』の次に監督したのが、シリーズ化された『インクレディブル・ファミリー』なのは皮肉な巡り合わせだが、本作がブラッド・バード監督最大のヒットとなり、ディズニー/ピクサーに莫大な利益をもたらしたのはめでたいことだ。


The Art of Incredibles 2 (英語) ハードカバー■14年の歳月は状況を変えた

 しかし、前作『Mr.インクレディブル』公開からの14年は、続編制作を困難なものにしかねなかった。
 1960年代風のスパイアクションは後発の『怪盗グルー』シリーズが何度も繰り返してしまったし、方々の映画会社に自社作品の映画化を持ちかけていたマーベルはマーベル・シネマティック・ユニバースを成功させてスーパーヒーロー映画の大量生産を成し遂げた。前作の特徴であったものが、今や珍しくもなんともなくなってしまったのだ。


 1960年代風といえば、本作の中でインクレディブル一家が見ているテレビにアニメ番組の『科学少年J.Q』(原題『Jonny Quest』)の第8話「The Robot Spy」が映っていることから、その日が1964年11月6日であることが判る。再放送の可能性もあるけれど、『科学少年J.Q』だけでなくテレビドラマ『アウター・リミッツ』(1963年~1965年)を見ている場面もあるから、本作の時代設定が1964年であることは間違いあるまい。

インクレディブル・ファミリー オリジナル・サウンドトラック Soundtrack 1960年代を舞台にした『怪盗グルー』シリーズの『ミニオンズ』が、当時のヒット曲を散りばめて60年代らしさを醸したのも良かったが、本作は負けず劣らず60年代そのものとしか思えないテーマソングをみずから発信して楽しませる。
 劇中でも使用されるMr.インクレディブルのテーマソング『たたかえMr.インクレディブル』、フロゾンのテーマソング『アイツはフロゾン』、そしてイラスティガールのテーマソング『ゴーゴー・イラスティガール』は、いずれも名曲揃い。これらを収めたサウンドトラック盤は必聴だ。

 とはいえ、前作と同じくマイケル・ジアッチーノが担当した音楽は、全体的には前作ほど60年代らしく感じない。前作の楽曲はジョン・バリーが甦ったかのようだったが、本作ではそれほどジョン・バリーの再現に努めてはいないようだ。映画全体が、『ミニオンズ』のような徹底した60年代らしさを訴求しようとは考えていないようなのだ。


 スーパーヒーロー映画としては、前作同様に充実した内容で楽しませてくれる。
 Mr.ファンタスティックのエピゴーネンであるイラスティガールは、ドアの隙間から手を差し込んで錠を開けたり、冷凍室に閉じ込められて伸び縮みできなくなったりと、2005年の映画『ファンタスティック・フォー [超能力ユニット]』と同じことを繰り返してみせる。

 対する敵のスクリーンスレイヴァーが催眠技術で人々を操るのは、ファンタスティック・フォーの敵パペット・マスターを模したものだろうか。このスクリーンスレイヴァーというキャラクター、1960年代らしくテレビ受像機や各種モニターを介して人々を操るのだが、これはスマホのスクリーンを見て下を向いてばかりいる2010年代の大衆への痛烈な皮肉であろう。パソコンの画面で勝手に立ち上がる「スクリーンセイバー」と、奴隷商人を意味する「スレイヴァー(slaver)」を掛け合わせたネーミングも秀逸だ。

 しかも、前作ではインクレディブル一家とフロゾンくらいしか登場しなかったスーパーヒーローが、今回は新世代のメンバーを加えてわんさか登場し、敵味方に分かれて大暴れ。
 敵の陰謀も、個人的な満足を得ようとした前作のシンドロームの悪事よりも社会的に影響の大きい企みとなり、はるかにスケールアップした。

 とはいえ、あの手この手でスーパーヒーロー映画が繰り出される昨今、スーパーヒーローの増員や多少の陰謀では差別化は図れない。
 前作は、スーパーヒーローが非合法化され、その上スーパーヒーローが次々抹殺されるというマンガ『ウォッチメン』をその映画化の前に先取りしたが、本家『ウォッチメン』の映画が2009年に公開され、さらに公的機関の管理下に置かれそうになったスーパーヒーローたちが敵味方に分かれて戦う『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)まで公開された後となっては、本作の今さら感は拭えない。


 だが、本作の真価は、1960年代風のテイストやスーパーヒーローの活躍ではない。


■「他に例がないもの」

 長年、ピクサーへ来るようにジョン・ラセターから誘われていたブラッド・バードが、ようやく入社を決めたときにラセターから出された要求は一つだけ。「ずっと作りたかった映画を作ること」だった。
 10年以上にわたり、スーパーヒーローの家族に関する作品を作りたいと思っていたブラッド・バードは、さっそく『Mr.インクレディブル』に取り組んだ。その背景には、『ザ・シンプソンズ』等の制作に追われた90年代、三人の子宝に恵まれながらブラッド・バード自身が仕事と家庭のバランスに悩んだ経験があったという。

 『トゥモローランド』が完成し、本作の脚本執筆に取りかかっていた2015年当時のインタビューで、ブラッド・バード監督はスーパーヒーロー物の興隆が長続きするとは思えないとして、時代を超えたものを作る重要性を強調した。
 「スーパーヒーローの部分には興味がないのです。より興味を抱くのは、家族のダイナミックな関係や、スーパーヒーロー的なものがそこにどう関わるかということです。この方向性はとても興味深いと思うし、他に例がないものです。」

ファンタスティック・フォー:銀河の危機 [Blu-ray] なるほど、だから『ファンタスティック・フォー』なのか。
 ファンタスティック・フォーの特徴は、アメコミ史上はじめてのヒーローチームということだけでなく、同時に家族でもあることだ。Mr.ファンタスティックとインヴィジブル・ガールは夫婦であり、ヒューマン・トーチはインヴィジブル・ガールの弟だ。他のスーパーヒーローも結婚したり親族関係が語られることがあるけれど、もっとも古く、たった四人のヒーローチームのうちの三人が家族であるという点で、ファンタスティック・フォーの特異な地位は揺るがない。
 ブラッド・バード監督がファンタスティック・フォーをモデルにインクレディブル・ファミリーを創造したのは、個々の特殊能力を真似したかったわけではなく、家族でありながらスーパーヒーローチームというファンタスティック・フォーが提示したモチーフを掘り下げたかったからなのだろう。

 バード監督は『Mr.インクレディブル』において、会社をクビになった上にそれを家族に打ち明けられず、何とか稼ごうとしてあがく父親という、およそスーパーヒーローらしからぬ切ない中年男を描き出した。この作品の結論は、家庭のことは妻に任せきり、その代わり稼ぐことについては夫だけが悩むという"役割分担"はもうやめて、みんなで悩みと苦労を分かち合おうという新たな家族像を提示することだった。

 そして本作――。
 Mr.インクレディブルことボブと、イラスティガールことヘレンが、働き手と家事の役割を交替するアイデアは、前作公開時からバード監督の中にあったという。しかし、完璧なストーリーを思いつくのに何年も要したのだった。
 このストーリーが実に面白く、「他に例がないもの」になっている。スーパーヒーローのはずのMr.インクレディブルが家事に専念し、悪との戦いが繰り広げられるのをテレビで見ているだけだなんて、そんなスーパーヒーロー映画が他にあろうか。

 スーパーヒーロー映画として見た場合、本作は完全にイラスティガールが主人公になっている。これがまた本作を際立たせる点だ。
 2010年代、マーベル・シネマティック・ユニバースの名の下にスーパーヒーロー映画が量産されたにもかかわらず、『キャプテン・マーベル』が公開された2019年まで女性が主人公の映画はなかった。ライバルといえるDCエクステンデッド・ユニバースに目を向けても、女性の主演映画は『ワンダーウーマン』(2017年)とその続編(2019年)しかない。スーパーヒーロー映画に欠かせない天才科学者も、2018年に『ブラックパンサー』が公開されるまで男性に占められていた。

 スーパーマンが受ければ『スーパーガール』(1984年)、英雄コナンが受ければ『レッドソニア』(1985年)、バットマンが受ければ『キャットウーマン』(2004年)、デアデビルはそれほど受けなかったが『エレクトラ』(2005年)等、男性ヒーローの人気にあやかる形で女性が主人公のアメコミ(スピンオフ)映画が作られたこともあったけれど、興行的にも批評的にも成功した女性スーパーヒーロー映画は『ワンダーウーマン』が初めてだろう。そんな状況でブラッド・バード監督は、『ワンダーウーマン』公開のはるか前から女性を主人公に据えたスーパーヒーロー映画を作ろうとしていたのだ。
 しかも『ワンダーウーマン』でさえ、女性が男性と並んで戦う話であり、男性が家庭を守る映画ではなかった。現実の世界では、妻が稼ぐ一方、夫が家事に専念する家庭だって少なくないと思うが、ことスーパーヒーロー映画では前代未聞の設定だ。
 たしかに、本作は時代に縛られない、時代を超えた映画といえよう。


インクレディブルファミリー ポスター 60x90cm■世界の真実

 ただ、これは米国においてのこと。日本ではいささか事情が異なる。
 なにしろ、日本にはセーラームーンやプリキュア等の女性スーパーヒーローがたくさんいるし、彼女たちの主演映画も山のように作られている。日本の観客にとっては、イラスティガールが前面に出て大活躍しても、さほど新鮮ではあるまい。

 夫と妻が役割を交替するのも、日米では受け止め方が異なるだろう。
 多くの国では、家の外に出る稼ぎ手が経済力を持っている。だから夫だけが稼ぎ手であれば、世帯収入すべてが夫の手中にあることになる。ところが日本では、夫が稼いだ金は妻の管理下に置かれ、夫は妻から小遣いをもらうケースが少なくない。この場合、夫が自由にできるのはわずかな小遣いに限られ、稼ぎ手ではない妻のほうが経済力を持つことになる。深尾葉子氏は、このような夫婦の関係を、水生昆虫タガメがくちばしをカエルに挿して肉を吸い取る様になぞらえ、「タガメ女」と「カエル男」と名付けている。カエルがあちこちで獲物を捕らえ、自分の養分にしようとしても、すべてはタガメに吸い取られてしまうのだ。
 家事をボブに任せたイラスティガールことヘレンは、社会に活躍の場を得て生き生きして見える。だが、カエルに取りついて養分を吸うタガメの場合、わざわざカエルの立場になって喜ぶかは疑問である。

 もちろん、日本にだって「タガメ女」「カエル男」でない男女はたくさんいよう。女性みずから稼ごうとすると、有形無形の障害が立ちはだかるのが問題であることは云うまでもない。

 ともあれ本作は、夫婦や親子のあり方を問うて家族に変化を促す物語であり、スーパーヒーロー映画にありがちな都合のいいアジェンダ設定――宇宙からの侵略者や悪の秘密結社との闘いにかまけて、目の前の家族との良好な関係構築というもっと難しいことを後回しにする――を打ち破る、特筆すべき作品といえよう。


 さらに云えば、本作が提示するのは単なる男女の役割交替ではなく、圧倒的に女性中心に回っている真の世界像だ。

 本作の悪役イヴリンは、幾重もの意味で新しいキャラクターだ。007シリーズには登場したこともない女性の黒幕であること、『ブラックパンサー』のシュリ王女に続く女性の天才科学者であること。そして、映画に出てくる女性の黒幕といえばせいぜい魔女とか欲望の塊のおばさんとか、あまり知的な人物ではないことが多いのに、本作のイヴリンは天才的頭脳を駆使して、世界の人々のメンタリティを変えようとする。

 イヴリンには、大金持ちだがお人好しの兄ウィンストンがいるけれど(ウィンストンのほうが黒幕だと考えた観客もいることだろう)、初期段階の構想ではネルソンという悪い兄がいて、兄のほうが真の黒幕とされていた。そしてイヴリンは電気を操るシェレクトリック(Shelectric=彼女(she)+電気(electric))となってインクレディブル一家を襲うはずだった。
 しかし、女性――それも超能力を持ち出したりせず、頭脳を駆使して悪事を働く女性――の黒幕が好ましいという作り手の判断から、現在のイヴリンが創造されたという。
 おかげで、彼女の兄はただの善良な脇役となり、電気を操るスーパーヒーローとして別途ヘレクトリクス(He-Lectrix=彼(he)+電気(electric))が誕生した。

インクレディブルファミリー  Mrインクレディブル ポスター 60x90cm イラスティガールがスーパーヒーローに復帰したのも、戦いのたびに街を壊してしまうMr.インクレディブルよりイラスティガールのほうが市民生活に与える損害が少なく、スーパーヒーローに相応しいとの分析結果が出たからだ。
 事実、Mr.インクレディブルが大暴れすると訴訟沙汰になったのに、イラスティガールの活躍には誰もが拍手喝采する。そしてテレビに出演したイラスティガールは、「ヒーローを男に任せてはおけません」と演説まではじめてしまう。
 Mr.インクレディブルことボブはといえば、これまでヘレンが完璧にこなしていた家事に挑戦して、まったく手も足も出ないことが判明する。
 家事労働者としても、家の外での稼ぎ手としても、女性のほうが男性に勝ることを本作は強調する。

 今後の政策のキーパーソンとなるヘンリエッタ・セリック大使も女性、スーパーヒーローのスーツを作る凄腕デザイナーのエドナ・モード(007シリーズのQに相当する)も女性、新世代スーパーヒーローの中で唯一個性的に振る舞うのももちろん女性のヴォイドだけ。一方で、社会の底辺でうごめく性根が腐ったアンダーマイナーは男性である。
 こうしてイラスティガール対イヴリンの、女性対女性の戦いを中心に据えた本作は、男性の出る幕がほとんどなく、それどころか男性はトラブルメーカーにしかならないことを示しながら展開する。

 「他に例がないもの」を作ろうとするブラッド・バード監督の意気や良し。
 ただ、ここまでくるとミサンドリー(男性嫌悪)のように感じなくもない。
 劇中では、突然動き出したインクレディビールに驚いた男性が女性の陰に隠れたり、調理器を前にした男性が女性から「あなたにもできる」と諭されるテレビコマーシャルが流れたりもする。
 男性はそこまで役に立たない生き物でもないと思うが、家父長制を肯定するような傾向が見られるピクサーにおいて(一例として、こちらの記事の2016年5月16日のコメントを参照されたい)、本作はとても挑戦的で、「時代を超えたもの」と云えるだろう。


 こうして、前作時点で構想していたことを見事作品に結実させたブラッド・バード監督だが、2018年に公開されるはずだった『トイ・ストーリー4』の制作が遅れ、代わりに2019年に公開予定だった本作が2018年に前倒しされることになったため、本作に盛り込むのをあきらめたアイデアがたくさんあるという。たとえば、本作の敵スクリーンスレイヴァーは、AI絡みの複雑なプロットをあきらめて急遽こしらえたキャラクターだそうだ。
 是非ともシリーズ第三弾を作って、また我々を楽しませて欲しいものだ。


インクレディブル・ファミリー オリジナル・サウンドトラック Soundtrackインクレディブル・ファミリー』  [あ行]
監督・脚本/ブラッド・バード
制作総指揮/ジョン・ラセター
出演/クレイグ・T・ネルソン ホリー・ハンター サラ・ヴォーウェル ハック・ミルナー サミュエル・L・ジャクソン ソフィア・ブッシュ イーライ・フチーレ ジョン・ラッツェンバーガー ジョナサン・バンクス イザベラ・ロッセリーニ ブラッド・バード マイケル・バード
日本語吹替版の出演/黒木瞳 三浦友和 綾瀬はるか 山崎智史 斎藤志郎 木下浩之 加藤有生子
日本公開/2018年8月1日
ジャンル/[アクション] [スーパーヒーロー] [ファミリー]
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『ブリグズビー・ベア』 僕たちの映画

ブリグズビー・ベア ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray] まったくもって他人事ではない。
 多くの人が『ブリグズビー・ベア』を観て、深く共感したに違いない。

 映画の紹介文を読むだけだと、ずいぶんエキセントリックな作品に思える。
 ――赤ん坊の頃から25年、有害物質に覆われた地上を避けて、地下のシェルターで両親と三人きりの生活を続けてきたジェームスにとって、子供向けの教育特撮番組『ブリグズビー・ベア』が人生のすべてだった。毎週の新作を見るのはもちろん、過去の膨大なビデオも繰り返し見てきたから、彼の頭にはすべてのストーリーが刻み込まれている。
 ブリグズビー・ベアの言葉は彼の人生訓であり、ブリグズビー・ベアの行動は彼の模範だった。彼の人生の課題は、ブリグズビー・ベアを困らせるサン・スナッチャー(太陽の誘拐犯)を倒すことだった。
 そんな彼の家へ、ある日たくさんの警察官が押し寄せてくる。

 そして彼は告げられるのだ。彼が両親だと思っていた男女は誘拐犯であり、彼が外の世界と接触できないように閉じ込めていたのだと。『ブリグズビー・ベア』は、キャラクタービジネスに長けた偽両親が彼だけのために作った偽番組であり、視聴者は彼しかいないのだと。偽両親が逮捕された以上、『ブリグズビー・ベア』の新作がつくられることはもうないのだと。
 こうして"監禁状態"から"解放"されたジェームスは、本当の父母と妹と暮らす羽目になる。待ち受けていたのは、水泳、カヌー、バスケットボール等のスポーツや外遊びと、それらを押し付ける、もとい一緒の時間を過ごそうとする父や母であった――。

 要約だと伝わりにくいが、映画をご覧になった方はお判りだろう。"監禁状態"のジェームスはとても幸せだったに違いなかった。学校にも行かず、働きもせず、毎日々々特撮番組を見るだけの生活。こんな暮らしを夢見る人は少なくないはずだ。
 かくいう私も、子供の頃は授業が終われば飛んで帰って、テレビアニメと特撮番組を見る生活だった。当時は朝も夕もアニメを放映していたし、特撮番組が週に何本もあったから、時間の許す限りそれらを見ていた。
 私の場合は生活のほとんどがテレビ視聴(ときどき読書)に捧げられていたが、人によってはそれがゲームだったり、フィギュアだったり、アイドルだったり、その他いろんなものに置き換わるだろう。
 いずれにせよ、好きなものにどっぷり浸ったジェームスの生活は理想的な生き方に見える。

 それだけに、"救出"されて、興味のないスポーツや人付き合いといった"現実"を突き付けられたジェームスの戸惑いはよく判る。
 『ブリグズビー・ベア』に夢中で何が悪いのか。なぜ『ブリグズビー・ベア』を卒業しなければならないのか。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン2 ブリグズビー・ベア 光沢プリント 本物の両親にしてみれば、ようやく戻った息子が、よりによって憎い誘拐犯の作った偽番組に夢中になっているなんて堪らないことだったろう。息子の心が、いつまでも誘拐犯に奪われたままのように感じられたに違いない。特撮番組に理解がない彼らは、なんとしてでも『ブリグズビー・ベア』を息子から取り上げ、忘れさせたかったのだ。
 だが、『ブリグズビー・ベア』を見て大きくなったジェームスにとって、『ブリグズビー・ベア』を否定されることはこれまでの全人生を否定されるも同じだった。大事なことは、みんな『ブリグズビー・ベア』から学んで成長したのだ。

 鑑賞中、私は切なくてならなかった。私も親からアニメや特撮を見るなと云われたし、愛読していたテレビマガジンのバックナンバーも捨てさせられた。結局アニメや特撮は卒業しなかったが(好みが変わって、外国作品の比重が大きくなったが)、ジェームスが直面した苦しみ悲しみはよく判る。

 偽の親を演じるのが、よりによってマーク・ハミルだなんて、いかにも泣かせる。米国の多くの青少年は、マーク・ハミルが演じたスター・ウォーズ・シリーズの主人公ルーク・スカイウォーカーから、人生や道徳について学んだことと思う。マーク・ハミルの位置づけは、日本でいえば仮面ライダー1号こと本郷猛役で知られる藤岡弘、さんに当たるだろうか。その彼がジェームスの肩に手を置いて、日々「強くあれ」と語りかけるのだ。もはや、ルーク・スカイウォーカーが自宅にいて、「ダークサイドに堕ちないように心を強く持て」と言われるに等しい。ジェームスへの影響の大きさが察せられよう。
 にもかかわらず、実の親がそんなものは忘れろと言うのだ。そのショックたるや、たいへんなものだろう。


 好きなことを好きであり続ける。ただそれだけなのに、変人扱いされて苦労するジェームスだが、そんな彼の救いになるのが、同好の士の存在だ。
 『ブリグズビー・ベア』の新作が見られないジェームスは、みずから『ブリグズビー・ベア』の続きを作ろうとする。二次創作というやつだ。はじめは彼一人の妄想でしかなかったが、彼の考えに共鳴した映画好きたちが集まり、構想はにわかに現実味を帯びてくる。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン4 ブリグズビー・ベア 光沢プリント この展開に共感する人も多いはずだ。仲間と映画を作ったり、同人誌を作ったり、バンドを組んだりといった活動は、それらを理解しない人が押し付けるどんなものより重要だ。
 本作をつくった監督のデイヴ・マッカリーと、脚本のケヴィン・コステロと、原案・脚本・主演のカイル・ムーニーも、サーグッド・マーシャル中学の頃からの友人であるという。本作のアイデアを最初に思いついたのも、中学時代のことだそうだ。本作の主人公ジェームスの人物像は、ジェームスを演じたカイル・ムーニーに近いのだという。

 ジェームスの熱意は、すでに好きなことを"卒業"していた人の情熱をも呼び戻す。こわもて刑事として登場したヴォーゲルは、映画作りに奔走するジェームスに接して、忘れていた演劇熱を再燃させる。ヴォーゲルがジェームスの映画に出演するうち、ジェームス以上のこだわりで演じるようになるのが微笑ましい。
 ひとむかし前だったら、社会に適合しないジェームスの"矯正"とジェームスの抵抗が映画の題材になっただろうに、本作ではジェームスへの共感の輪が広がり、だんだん多くの人がジェームスに巻き込まれていくのがとても愉快だ。


 社会に適合させられそうになる映画は過去にもあった。名高いところでは、『カッコーの巣の上で』(1975年)や『時計じかけのオレンジ』(1971年)あたりが挙げられよう。
 ただ、それらの映画が社会的・政治的メッセージを帯びていたのに対し、本作はもっと個人的な、趣味・好みといった次元の問題を取り上げている。

 スクールカーストでいえば、社交性に乏しく、趣味の世界に入り込んでるジェームスは、カースト下位層の「ナード」に位置づけられよう。スクールカーストの上位には外交的でスポーツが得意な「ジョック」と呼ばれる男性や「クイーンビー」と呼ばれる女性たちがいる。ジョックとは、2010年代の日本で「リア充」と呼ばれる層に相当しよう。

 このカーストは強固なものだったようで、過去、多くの映画において、主人公(ヒーロー)はスポーツマンタイプの肉体派が務め、室内で趣味に没頭する内向的な人物は脇役に甘んじていた。映画を作る上で、その内容を社会の認識に一致させるのは当たり前の配慮だし、映画をヒットさせるには「リア充」たる層を呼び寄せるデートムービーとしての役割も求められるだろうから、これはとうぜんの設定だろう。
 一方で、ナード出身の監督がナードの観客に向けた映画では、ジョックへの恨みが爆発し、たとえばホラー映画などではチャラチャラした若者が真っ先に殺されるのが定番だった。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン3 ブリグズビー・ベア 光沢プリント 近年はこのカーストに異変が生じているようだ。サム・ライミ監督の『スパイダーマン』(2002年)は、内向的な主人公が暴力的なジョックたちに屈せずに生きていく物語だった。いかにもナードな青年を大作映画の主人公にしたことも、それが大ヒットしたことにも驚いたが、2017年の『スパイダーマン:ホームカミング』に至っては、勉強好きな主人公たちが学園の中心のように描かれ、肉体が取り柄のスポーツマンに活躍の場はまるでなかった。
 STEM教育(Science, Technology, Engineering and Mathematicsを重視した教育)の推進や、非ジョック出身者の社会的成功等もあって、学生に求められることの優先順位が変わってきているのだろうか。

 本作には、パーティー会場に入り込んだジェームスが、うっかりジョックやクイーンビーとおぼしき男女に話しかけてしまう場面がある。このときは、映画好きのスペンサーがすかさず助けに入り、「あいつらバカだから」と云ってジェームスを引き離した。その後、二度とジョックたちが出てくることはない。ジェームスたちはジョックと対立するでもなく、ジョックに屈せず頑張るのでもなく、もはや彼らなど眼中にないのだ。世の中にはいろいろな人がいるのだから、上とか下とか関係なく、各人が好きなことをしていればいい。
 スクールカーストの厳格さと、映画好きな連中の惨めさを冷徹に描いた2012年の日本映画『桐島、部活やめるってよ』の世界とはたいへんな違いだ。

 『ブリグズビー・ベア』を好きなジェームスは、その性向を変えなくても周りに受け入れられた。受け入れられるどころか、彼の映画作りは多くの賛同を得て、称賛された。
 今の社会に起こりつつある変化は、かくあるべきなのだろう。
 だからこそ、まずは映画『ブリグズビー・ベア』を作ったデイヴ・マッカリーとケヴィン・コステロとカイル・ムーニーと関係者の方々を、全力で称賛したい。


ブリグズビー・ベア ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]ブリグズビー・ベア』  [は行]
監督/デイヴ・マッカリー  原案/カイル・ムーニー
脚本/ケヴィン・コステロ、カイル・ムーニー
出演/カイル・ムーニー マーク・ハミル クレア・デインズ グレッグ・キニア ジェーン・アダムス マット・ウォルシュ ミカエラ・ワトキンス ライアン・シンプキンス ホルヘ・レンデボルグ・Jr アンディ・サムバーグ
日本公開/2017年6月23日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : デイヴ・マッカリー ケヴィン・コステロ カイル・ムーニー マーク・ハミル クレア・デインズ グレッグ・キニア ジェーン・アダムス マット・ウォルシュ ミカエラ・ワトキンス ライアン・シンプキンス

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