『ハンターキラー 潜航せよ』は面白い上に面白い

ハンターキラー 潜航せよ サウンドトラック 【ネタバレ注意】

 いやはや、『ハンターキラー 潜航せよ』はなんて面白い映画なんだ。
 よくもまぁこんなに面白く作れるものだと感心した。

 ロシア海域でロシアと米国の原子力潜水艦が沈没した。両者が交戦したわけではない。何者かによりどちらも沈められたのだ。
 その頃、ロシアではドゥーロフ国防相がザカリン大統領を拘束し、クーデターを起こしていた。ドゥーロフ国防相は米国と開戦し、ロシアの全権を掌握しようと企んでいたのだ。
 これを察知した米軍は、ネイビーシールズの四人の精鋭と、ジョー・グラスが艦長を務める攻撃型原子力潜水艦(ハンターキラー)のUSSアーカンソーを差し向けて、なんとロシア大統領の救出を命じる。かくして、米軍がロシア領内でロシア軍と戦いながらロシア大統領の救出を図るという、前代未聞の作戦がはじまった。
 一方で、米統合参謀本部のドネガン議長は、ドゥーロフ国防相の動きに武力で対抗すべきと主張。ロシアに向けて空母打撃群を派遣した。ジョー・グラスが一刻も早くロシア大統領を救出してクーデターを頓挫させなければ、米ロ両国が交戦状態に陥るのは必至だった。

 ――と簡単にプロットを記しただけでも、『ハンターキラー 潜航せよ』の面白さはお判りいただけると思う。
 本作は、不可能な任務に挑む特殊部隊モノの面白さと、潜水艦の隠密行動を描く海洋サスペンスの面白さを兼ね備え、さらには潜水艦同士や潜水艦対駆逐艦の戦いも挿入されて、面白い上に面白い。

 潜水艦を舞台にした映画は、密かに行動しなくてはいけないとか、音を立ててはいけないとかになりがちで、それはそれでもちろん面白いのだけど、映像に躍動感がなくて地味な絵になりやすい。その点、本作は潜水艦の任務と並行して、シールズによる敵司令部への潜入や激しい銃撃戦を描くことで、緩と急、動と静がバランス良く配置されている。銃声が鳴り響く山中の戦いに興奮した次の瞬間には、物音一つ立ててはいけない海中の緊張感を味わうわけで、そのハラハラドキドキの繰り返しが実に巧い。


 21世紀に入ってから、あまり潜水艦モノの映画がなかった気がする。
 本作の公式サイトには「潜水艦テクノロジーの急激な発展という現実に、フィクションが追いつくことができなくなった結果だ」とあるが、作品に国際情勢を織り込むのが難しかったせいもあるのではないかと思う。

 第二次世界大戦中の話であれば、潜水艦と駆逐艦が戦うシチュエーションにはこと欠かなかった。冷戦中も、米ソの対立を軸に物語を展開することができたろう。21世紀に米軍の潜水艦に対抗できる力を持ち、かつ米国と対立しそうな国といえばロシアくらいなものだろうが、ではどうやってロシアとのあいだで潜水艦が出動するほどの事態を演出するのか。ロシアを友好的な国として描いたら対立軸を作れないが、さりとて敵国扱いするのが適当なのか。戦闘シーンはどこまでエスカレーションさせて良いのだろうか。ロシア市場を含めた世界各国で映画を受け入れてもらえるようにするには、誰を悪人にして誰を善人にすれば良いのか。

 本作はこれらの問題を解決するために、ロシアという国と対立するのではなく、あくまで国防相ドゥーロフの陰謀に対抗する形にした。これにより、ロシア軍が動いていてもロシアという国と対立しているのではない図式ができた。
 物語上ロシア人と戦うことは避けられないが、その分、ロシアのザカリン大統領とアンドロポフ艦長を理性的で信頼できる人物として描き、米ロの精鋭が共闘する場面も織り交ぜて、ロシア人がみな悪いかのようなステレオタイプに陥らないようにした。
 このあたりのバランスの取り方を楽しむのも、本作のような映画の醍醐味だ。


ハンターキラー 潜航せよ〔下〕 (ハヤカワ文庫NV)ハンターキラー 潜航せよ〔上〕 (ハヤカワ文庫NV) 本作で重要なポイントになるのが、社会心理学者の山岸俊男氏がいうところの「相手が信頼できる人間かどうかを見極めるために必要な社会的知性」である。

 USSアーカンソーのエドワーズ副長は、ロシアのアンドロポフ艦長らを救出したり、アンドロポフ艦長をアーカンソーの制御室に立ち入らせることに反対する。ここでエドワーズ副長が代表しているのは、同じ組織・集団に所属する者で固まり、他集団の者を排除し近寄らせないことで安心を得る「集団主義的秩序」である。
 他方、グラス艦長は、アンドロポフ艦長がロシア海軍所属であることよりも彼個人の人となりを見て信頼関係を結ぼうとする。グラスが代表しているのは「個人主義的秩序」である。山岸俊男氏はこの二通りの社会のありようを「安心社会」と「信頼社会」と呼んで区別した。

 「安心社会」では同じルールに従う者が集まっているので、その集団内にいる限り、騙されたり傷つけられるおそれは少ない。その代わり、新しい知見を得たり社会が発展する機会を得たりするのが難しく、社会は停滞し閉塞感に覆われるやもしれない。
 「信頼社会」では、社会の一人ひとりが「相手が信頼できる人間かどうかを見極めるための社会的知性」を必要とされるが、その代わりに集団内にはない知見を得たり、新たな飛躍のきっかけを掴んだりできる。

 日本はどちらかというと「安心社会」、米国はどちらかというと「信頼社会」であるという。
 アメリカ映画である本作でも、エドワーズ副長の意見を退け、グラス艦長が他者への信頼を貫くことで、よそ者であるアンドロポフ艦長から有用な情報を得ることに成功する。結果、不可能と思われた任務を達成することができるのだ。

 「他者への信頼」というテーマは、本作のクライマックスを最大限に盛り上げる。緊張が頂点に達するクライマックスにおいて、グラス艦長は何の行動も起こさないのだ。ミサイルを撃ち合ったり潜航したりの派手な戦闘で盛り上げてしかるべきところ、グラス艦長が駆使するのは他者への信頼のみ。
 ここに至って、本作はアクション映画であることを放棄し、「他者への信頼」というテーマに殉じた。それは評価の分かれるところかもしれないが、私は大いに共感した。本作が序盤からずっと描いてきたのは「誰を信頼するか」「それをどう見極めるか」ということであり、その到達点が「他者を信頼し、あえてみずからは動かない」グラス艦長の決断であった。


 本邦でこういう映画を作ろうとすると、生硬なセリフの応酬に終始したり、主要人物が長広舌をふるったりするうるさい映画になりがちだ。長ゼリフでくどくど説明してあげないと日本の観客には判らないと作り手に思われているのか、セリフに頼らなければ表現できないほど作り手の力量が不足しているのか、その両方なのか、いろいろ意見はあるだろう。
 本作では、グラス艦長が短いセリフをビシッと決めるのが印象的だ。危機を乗り越えたグラス艦長がアンドロポフ艦長とザカリン大統領に近づいて口にするのは、ただ「感謝します」という言葉だけ。こういう男がかっこいい。


参考文献
 山岸俊男・吉開範章(2009)『ネット評判社会』 NTT出版


ハンターキラー 潜航せよ サウンドトラックハンターキラー 潜航せよ』  [は行]
監督/ドノヴァン・マーシュ
出演/ジェラルド・バトラー ゲイリー・オールドマン コモン リンダ・カーデリーニ ミカエル・ニクヴィスト トビー・スティーヴンス
日本公開/2019年4月12日
ジャンル/[アクション] [サスペンス]
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【theme : アクション映画
【genre : 映画

tag : ドノヴァン・マーシュ ジェラルド・バトラー ゲイリー・オールドマン コモン リンダ・カーデリーニ ミカエル・ニクヴィスト トビー・スティーヴンス

『アベンジャーズ/エンドゲーム』 ありがとうアベンジャーズ

映画 アベンジャーズ エンドゲーム ポスター AVENGERS : ENDGAME POSTER 【ネタバレ注意】

 こんな映画が作れるとは!
 『アベンジャーズ/エンドゲーム』には感服するばかりだ。
 2008年の『アイアンマン』にはじまり、11年の歳月と21作品に及んだマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が、22作目の『アベンジャーズ/エンドゲーム』で遂に堂々たる結末を迎えたのだ。

 過去、映画界でこんなことはなかっただろう。
 MCUは全世界の興行収入が100億ドルを超える大ヒットシリーズで、アベンジャーズだけを見ても第一作『アベンジャーズ』が15億ドル以上の興収を叩き出し、第二作『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』が14億ドル、第三作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』が20億ドル以上に達する凄まじさだ。なのにマーベル・スタジオは、作ればまたヒットすると判りきっているMCUの物語にけりをつけてしまった。無理にでも続編を作って儲け続けようとする会社が多い中で、とてつもない英断だ。

 映画の本数だけでいえば、男はつらいよシリーズや007シリーズのほうが多いけれど、それらの長寿シリーズに一貫した物語はない。作れる限り、作り続ける。その繰り返しなだけだ。
 MCUのヒーローたちは、誰もが主役級で自身の人気シリーズを持っているのに、クロスオーバーすることでそれぞれの物語が緊密に絡み合い盛り上がり、本作において一斉にすべての物語が終焉を迎えた。
 アメコミではしばしば目にする手法だが、それをそのまま映画に持ち込むなんて、そしてそれを成功させてしまうなんて、いやはや脱帽だ。

 もちろん、これからもマーベル・シネマティック・ユニバースの名の下で、マーベルのマンガを原作にした映画が作られていくだろう。ヒーローたちが集結してアベンジャーズを名乗ることもあるだろう。だが、とにもかくにも多くの作品群に広がっていた作品世界に一つの区切りがついたのだ。
 マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長は、これまでの22作品を「インフィニティ・サーガ」という呼び名でくくっている。
 「私たちは、これまでにないやり方でシリーズを終わらせたかったのです。ハリー・ポッターもロード・オブ・ザ・リングも原作本が少ないから終わりました。でも私たちは、22本もの映画を通して物語を完結させるのが面白いだろうと考えたのです。」
 マーベルの無限ともいえる膨大な原作があればこその発言だろう。


 シリーズ全体を通してのメッセージも強烈だ。
 MCUの幕開けとなった『アイアンマン』は、天才発明家のトニー・スタークがその優れた科学力を兵器に使うのはやめようと決意する物語だった。科学技術をどう使うかという問題は、アイアンマンシリーズを貫くテーマである。
 並行して描かれたハルクやキャプテン・アメリカの物語も、科学技術の使い方の是非を問う姿勢が背景にあった。マイティ・ソーが活躍したのは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」世界だ。
 こうして科学技術のあり方を問い続けたMCUは、『ブラックパンサー』で明確なメッセージを打ち出した。その使い方をしっかり考え、科学技術を発展させてこそ、多くの命を救い、人々を幸せにできるということ。科学技術を発達させ、世界中の人がその恩恵に与れるようにすることが、ヒーローたる者に求められる崇高な行いであること。そのメッセージが共感を呼んだから、『ブラックパンサー』はヒーロー単体の映画としてはMCU最大のヒットを飛ばしたのだろう。

 映画『ブラックパンサー』をもってMCUのメッセージは観客に充分すぎるほど伝わったと思うが、ダメ押しに登場したのがサノスだった。
The Road to Marvel's Avengers: Endgame - The Art of the Marvel Cinematic Universe サノスの言動は、『ブラックパンサー』の主人公ティ・チャラの真逆を行く。サノスの理想はいわゆるロハスな生活だ。ロハスとは "lifestyles of health and sustainability" の頭文字を組み合わせた言葉で、健康と環境を重視したライフスタイルのことだ。そこには、無農薬で作られた野菜を好んだり、遺伝子組み換え技術等による品種改良を問題視したり、添加物の入った食品を避けたりといった行動が含まれよう。本作の冒頭、自然に囲まれ、みずからの手で農作物をつくってのんびり暮らすサノスは幸せそうだ。こういう生活を志向する人は実際に少なくない。

 しかし、無農薬の作物には相当の手間がかかるから大量生産できないし、品種改良しなければ野菜や果物は育ちにくく味や栄養が劣ったままであろう。添加物を加えない食品は痛みやすく(食中毒を起こしやすく)長持ちしないおそれがある。それでも裕福な人なら作物を厳選して、おいしいものを満足のいくまで食べられるかもしれないが、こんな生産性の低いことをしていては世界人口を支えられない。本来は、農薬の使い方はどうあるべきか、添加物はどのようなものが良いのか等を検討するべきであろうが(そしてそういう検討はとっくになされているのだが)、農薬全否定、添加物全否定に陥って抜け出せない人もいるようだ。それは、世界人口を支えなくても良いという考え、――見知らぬ人を切り捨てても良いという考え方に直結しよう。
 それをサノスは実行に移した。世界人口の半分を亡きものにし、自分用の農園で自分一人が納得できる野菜作りをして、均衡の取れた(持続可能な)世界になったと喜んだ。サノスが恐ろしいのは、これに近い考え方の人が現実にいるからだ。科学の研究や技術の発達に背を向け、無農薬、無添加等を良いことととする生産者、流通業者、消費者の行き着く先は、サノスの世界であることを本作は示している。
 だからこそ、科学の鎧をまとったアイアンマンや、科学の力で超人になったキャプテン・アメリカらは、全力でサノスを叩き潰さねばならなかった。たとえ勝利する可能性が1400万605分の1であっても、戦わなければならなかった。

 

映画 アベンジャーズ エンドゲーム ポスター IMAX 本作はアベンジャーズの初期メンバーの"最後の"活躍を描いている。
 前作の最後に、サノスによって世界中の半分の人々が消し去られた。残ったのはアイアンマン、ハルク、ソーキャプテン・アメリカ、ブラック・ウィドウ、ホークアイ――つまり、マーベル・シネマティック・ユニバースフェイズ1に登場し、これまでユニバースを支えてきた古参ヒーローたちだ。
 世界の人々の半分が消滅し、それはヒーローといえど例外ではなかった、という云い訳を用意することで、フェイズ2以降に登場したドクター・ストレンジやブラックパンサースパイダーマン、スカーレット・ウィッチ、ファルコン、ウィンター・ソルジャー、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのほとんどのメンバーたちにいったん退場していただき、フェイズ1のヒーローたち(と本作でマーベルとの契約が切れるその役者たち)の最後の見せ場を作ったのだ。
 フェイズ2以降のヒーローで活躍するのは実質的にアントマンだけであり、彼をあえて前作には登場させなかった(彼は通常とは異なる時空間にいた)ことを伏線にして、古参ヒーローの引退と新ヒーローたちへの交代を見届ける役を務めさせる。この壮大な仕掛けに心底感心した。

 しかも、徹頭徹尾戦闘の連続だった『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』に比べ、本作はなんと静かで物悲しいことか。
 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』では、観客がMCUの作品を隅々まで知っていることを前提にして、キャラクターの紹介や背景説明を省いた激しい戦闘の連続を描くことができた。
 本作もまた観客がMCUの作品を隅々まで知っていることを前提にしているが、それは『インフィニティ・ウォー』とは反対にキャラクターの内面をじっくり描き、一人ひとりの物語に決着をつけるためだった。両作とも、作り手がこれまで作ってきた作品世界に自信を持ち、足を運んでくれる観客を信頼しているからできることだろう。

 各キャラクターのこれまでの苦悩と葛藤を知る観客には、本作の初期メンバーたちの物語が胸に迫るに違いない。

 アイアンマンことトニー・スタークの傲慢さの裏には、父への反発が隠れていた。アイアンマンシリーズは、そんなトニーの心情と父への思いの変化を軸にしていた。
 本作でみずからも父となり、また父の思いに直接触れたトニーは、かつて傲慢な億万長者だったことなど微塵も感じさせない安らかな表情をしている。

 怪物ハルクに変化することを恐れ、人目を避けて暮らしつつ、危機が迫るとハルクの力を利用して乗り切っていたブルース・バナーは、自分がハルクであることと折り合いを付けられるようになった。ブルースが、ハルクでもある自分を肯定して人前に出られるようになるなんて、あの『インクレディブル・ハルク』の悲劇からは考えられなかったことだ。

 父から立派な王になることを期待され、みずからもその期待に応えようと苦悩していたマイティ・ソーは、ソーらしさを受け入れてくれる母との会話を経て、自分なりの生き方を見つけた。

 素性の知れない孤独なスパイだったブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフは、アベンジャーズの面々を家族と呼ぶほどに愛し、家族への愛に身を捧げた。ナターシャにとってそれは本望だったに違いない。

 ホークアイは本作で改めて妻子の愛おしさ大切さを実感していたが、私はアベンジャーズのメンバーとの、特にブラック・ウィドウとの関係の描き方が感慨深かった。
 フェイズ1ではブラック・ウィドウと強い絆で結ばれていたはずのホークアイは、フェイズ2でアベンジャーズを脱退し、フェイズ3の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』ではブラック・ウィドウと対立してしまう。
 しかし、本作でホークアイとブラック・ウィドウの変わらぬ絆の強さが描かれたのは嬉しかった。ブラック・ウィドウと行動を共にするのがホークアイなのは、しごくもっともだと思う。

映画 アベンジャーズ エンドゲーム ポスター 人類の半数が失われた世界で、残った人々に「乗り越えていくしかない」と語り続けるキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースの姿は痛ましかった。70年ものあいだ北極で氷漬けになり、友人も知人もほとんどすべての人がいない現代に甦ったスティーブが、愛する者を失ったばかりの人々に語る言葉はあまりにも重い。人々を励ましているようでいて、自分の辛い運命を受け入れるべく自分の言葉を噛みしめているようだ。
 私がMCU全作を通じて一番悲しかったのが、スティーブとマーガレット・"ペギー"・カーターとの別れだった。わりと明るく楽しく観られた『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』だが、最後の最後にスティーブとペギーが70年という時間で引き裂かれてしまうラストはとてもショックだった。
 それだけに、おそらくはアベンジャーズの中でもっとも過酷で痛ましい人生を歩んだであろう(にもかかわらず常に一番不屈であろうとした)スティーブが、本作でようやく個人としての慎ましく幸せな暮らしを手に入れたことに涙を禁じ得ない。


 本作は単なる『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の続編ではなく、シリーズ物の最後のエピソードというだけでもない。
 11年にわたり22本もの映画を生み出してきた作り手たちと、それらに付き合ってきた受け手とが共有する長い長い物語。その「世界」と「歴史」があるからこその感動に満ちたフィナーレなのだ。

 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』と『アベンジャーズ/エンドゲーム』の監督はアンソニーとジョーのルッソ兄弟、そして脚本はクリストファー・マルクスとスティーヴン・マクフィーリーという、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』から続くチームが手がけたが、本作を作り上げたのは彼ら四人だけではない。『ドクター・ストレンジ』のスコット・デリクソン監督はストレンジというキャラクターをどう扱うべきか彼らと意見交換したし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の監督・脚本を務めたジェームズ・ガンも彼らに協力し、ガーディアンズの登場シーンにザ・スピナーズの「The Rubberband Man」を流すことを提案した。『マイティ・ソー バトルロイヤル』のタイカ・ワイティティ監督と脚本家エリック・ピアソンも協力し、クリストファー・マルクスとスティーヴン・マクフィーリーが脚本を書いた『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』以降にソーの身に起きた変化を反映させた。本作を手がけた四人のチームは、毎週のように他の監督や脚本家たちと話し合ったという。
 この素晴らしい物語を紡いでくれた多くの人たちに感謝の意を表したい。たくさんの楽しさをありがとう。感動をありがとう。勇気と元気を与えてくれてありがとう。
 ありがとう、アベンジャーズ。


映画 アベンジャーズ エンドゲーム ポスター AVENGERS : ENDGAME POSTERアベンジャーズ/エンドゲーム』  [あ行]
監督/アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演/ロバート・ダウニー・Jr クリス・エヴァンス マーク・ラファロ クリス・ヘムズワース スカーレット・ヨハンソン ジェレミー・レナー ドン・チードル ポール・ラッド ジョシュ・ブローリン ブリー・ラーソン カレン・ギラン グウィネス・パルトロー ダナイ・グリラ ベネディクト・ウォン ジョン・ファヴロー ベネディクト・カンバーバッチ クリス・プラット ゾーイ・サルダナ トム・ホランド エリザベス・オルセン アンソニー・マッキー チャドウィック・ボーズマン トム・ヒドルストン デイヴ・バウティスタ ポム・クレメンティエフ セバスチャン・スタン サミュエル・L・ジャクソン ナタリー・ポートマン レネ・ルッソ ロバート・レッドフォード フランク・グリロ ヴィン・ディーゼル ブラッドリー・クーパー
日本公開/2019年4月26日
ジャンル/[アクション] [アドベンチャー] [スーパーヒーロー] [SF]
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【theme : アベンジャーズ
【genre : 映画

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『運び屋』 90歳は運び屋ではない

【映画パンフレット】運び屋 監督 クリント・イーストウッド キャスト クリント・イーストウッド 【ネタバレ注意】

 史上最高齢にして最大の麻薬の運び屋レオ・シャープに取材したサム・ドルニックの記事「The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule(シナロア・カルテルの90歳の運び屋)」にインスパイアされたクリント・イーストウッド監督の映画『運び屋』は、まぎれもない傑作だ。
 レオ・シャープをモデルにした老いた運び屋アール・ストーンを、『人生の特等席』(2012年)以来の主演となるイーストウッドが演じ、麻薬取締局の特別捜査官ジェフ・ムーアをモデルにしたコリン・ベイツには『アメリカン・スナイパー』でタッグを組んだブラッドリー・クーパーを起用。今回は監督と役者としてだけでなく、監督と役者、そして共演者としてタッグを組んでいる。

 88歳のイーストウッドは、よぼよぼのくたびれたアール・ストーンを見事に演じた。事業に失敗し、家族に見放された老人にとって金だけが友人や孫を喜ばす方法となり、彼は麻薬の運び屋へ転落していく。
 だが、孤独な老人の深刻な物語でありながら、本作は意外にも明るく楽しい印象だ。主人公がドライブ中に歌う陽気なカントリー・ミュージックやバックに流れるラテン系の音楽がとても効果を上げている。イーストウッドを主人公にイメージして脚本が執筆されたという本作は、ひょうひょうとした主人公の人間性と相まって、一貫してすがすがしさが漂う心地好い映画になっている。

 イーストウッドが監督しなかった『人生の特等席』は、仕事人間だった父と反目していた娘が徐々に父に理解を示してくれる人情噺だったが、本作はイーストウッドみずから監督するだけあってそんな甘えを許さない。仕事人間である限り父は娘に許されないのだ。そんな父がいかにして家族と新しい関係を築いていくか。そこが本作の見どころの一つであろう。
 娘役を演じるのは、クリント・イーストウッドが前妻とのあいだに設けた実の娘アリソン・イーストウッド。約20年ぶりの父からの出演依頼に驚いたという。
 本作の日本での公開に際し、立田敦子氏は「7年ほど前、イーストウッドにインタビューした際、自分のやりたい仕事に夢中になって、家族に十分な時間をとれなかった若き日を悔いていた。90歳の孤独な老人アール・ストーンは、まさしくイーストウッドの分身だ。」とコメントを寄せている。

 もちろん犯罪映画としても面白い。ひょんなことから世界最強の麻薬密売組織の運び屋になってしまった老人が、じわじわと裏社会の暗部に取り込まれていくサスペンス。標的を彼に絞り込んでくる麻薬取締局の包囲網。
 麻薬の運び屋はもちろん悪いことだが、アールの人の良さや哀しい人生を知ってしまった観客は、どうしても彼の身を案じてしまう。


The Mule (英語) Blu-ray 様々な面を兼ね備え、魅力満点の『運び屋』だが、本作の根底には「アール・ストーンはなぜ捕まらなかったのか」という問題があろう。
 アールはあまりにも大量に麻薬を運んでいた。麻薬取締局は有能な運び屋がいることに気づき、運搬予定もそのルートも調べ上げてアール逮捕に乗り出していた。なのに、何度試みてもアールは包囲網をくぐり抜けてしまう。
 その理由を説明するため、作り手は丁寧に描写を重ねていく。

 あるときアールは、クルマのタイヤがパンクして困っている黒人夫婦を助けてやる。一様に感謝する夫婦だが、アールが「俺が"ニグロ"を救うのか、ハハッ」と呟くのを耳にして顔色を変える。夫婦は困惑しながらも、毅然として申し入れる。「今は"ニグロ"とは云わないんですよ。私たちは"ブラック"、あなたは"ホワイト"です。」
 この映画の公開時、"ニグロ"は差別的な表現とされていた。

 またあるとき、アールはスマホを片手に自動販売機を叩き続ける男への不満を、通りすがりのベイツ特別捜査官に伝えた。「"君たち"は携帯が手放せないのか。」男を捕らえに行くところだったベイツ特別捜査官は思わず聞き返す。「"君たち"?」アールにすれば男もベイツ特別捜査官も同じようような年下の連中に見えたのだが、ベイツにとっては、不審な男とそいつを捕らえようとする自分を同一視するなんて信じられない思いだったろう。

 翌朝、アールとじっくり会話するに至ったベイツは、別れ際に感謝の言葉を述べる。「あなたのような人と話せて良かった。」今度はアールが聞き返す番だった。「あなたのような?」ベイツはアールを人生の先輩と見なして感謝の意を表したのだが、アールは自分が何かを代表しているつもりはさらさらなかった。

 アールが麻薬を組織のアジトに運んだときは、「ここの住所を誰に聞いた?」と問い詰められる。アールが「刺青のある大男のメキシコ人だ」と答えると、相手は「みんなそうだ」と怒り出す。住所を教えた男はアールに親切にしてくれたのに、アールは彼を一人の人間として見ておらず、名前はおろか彼を特定できるような特徴をなんら挙げることができなかった。

 アールのお守り役を命じられた麻薬密売カルテルの二人がアールと一緒に昼食を食べに行ったとき、二人は店中の注目を浴びてしまう。「みんなジロジロ見ている。」訝る二人にアールは説明する。「白ばっかりの店にタコス野郎が二人いるからな。」たしかに老若男女様々な店内の客は全員が白人で、ラティーノは彼らだけだった。

 このように本作には、「黒人」とか「ラティーノ」とか「スマホをいじる若い世代」とか「人生の先輩世代」といったステレオタイプの捉え方が横行し、その偏見・先入観が人間の目を曇らせる描写が挿入される。

グラン・トリノ [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [Blu-ray] 『グラン・トリノ』のニック・シェンクが脚本を担当しただけあって、両作には通底するものがある。
 『グラン・トリノ』は、アジアからの移民が多くを占めるようになった街に頑固に居座り続ける白人男性が、モン族の少年との交流を通して変わっていく物語だった。白人が「近年増え続けるアジア系移民」とひとくくりにしていた人々だが、実際に接してみるとそこには悩みを抱えた少年がいたり、心優しい娘がいたり、凶悪なギャングがいたりした。とてもひとくくりにはできない、一人ひとりが異なる性質を持つ人間たちだった。

 本作でも、単に「強圧的な麻薬密売組織の犯罪者」に思えた男が、話してみると身寄りがなく他に行く当てもないフリオという青年であることが判ったりした。

 2010年代、米国ではトランプ大統領の共和党政権がメキシコからの不法移民を防ごうとやっきになっていた。トランプを支持する中高年の白人女性は、次のように述べたものだ。
 「今、何が私の身の回りに起こっているか、ですって。私の住んでいる田舎町にまで、肌の浅黒い見知らぬ外国人がどんどん入ってきて、治安が悪くなっているんですよ。トランプさんはこんな状況から私たちをきっと救い出してくれると信じています。」
 外国人の増加と治安の悪化は必ずしも因果関係で語れるものではないのだが、こういう考えの人たちがトランプ大統領を支持していた。主人公のモデルとなったレオ・シャープが暮らしたインディアナ州は長年共和党が強い地域で、主人公アールもいかにも共和党を支持しそうな白人だ。クリント・イーストウッド自身、ハリウッドスターにしては珍しくドナルド・トランプに投票すると明言した人物である。
 にもかかわらず本作では、メキシコからの不法移民どころか、メキシコの麻薬密売組織の構成員であるフリオと親しくなり、信頼関係を結んでいく様子が描かれる。
 フリオより残忍で、いっとき連絡が取れなくなったアールを殺してやると息巻いていたカルテルの殺し屋でさえ、アールが連絡できなかった理由を知るとアールに同情して殺せなくなる。殺し屋たちはただの「運び屋」なら殺せても、家族思いで哀れな身の上の老人は殺せなかったのだ。

 「スマホをいじる若い世代」とひとくくりにされていたコリン・ベイツは仕事にかまけて妻との記念日を忘れたことを後悔する優しい男だったし、くたびれた「人生の先輩世代」に見えたアールは現役バリバリの麻薬の運び屋だった。
 誰もが一見しただけでは判らない別の顔を持っていた。

 ベイツ特別捜査官は運び屋と思しき男に目を付けては次々に尋問したが、どうしてもアールにはたどり着けなかった。アールに会ってもなお、それが彼の追う運び屋とは判らなかった。
 彼が目を付けるのはラテン系の恰幅の良い男ばかりで、「人生の先輩」である90歳のくたびれた白人がまさかメキシコのカルテルに見込まれた腕っこきの運び屋であろうとは想像もできなかったのだ。

 偏見や先入観に捉えられ、ステレオタイプな見方をしている限り、人間の真の姿には気づかない。
 人間は一人ひとりみんな違って、抱える事情も人それぞれ。そこに思いが及んだときに、違う光景が見えてくる。


【映画パンフレット】運び屋 監督 クリント・イーストウッド キャスト クリント・イーストウッド運び屋』  [は行]
監督・制作/クリント・イーストウッド
出演/クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー ローレンス・フィッシュバーン マイケル・ペーニャ アンディ・ガルシア ダイアン・ウィースト タイッサ・ファーミガ アリソン・イーストウッド
日本公開/2019年3月8日
ジャンル/[ドラマ] [サスペンス] [犯罪]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー ローレンス・フィッシュバーン マイケル・ペーニャ アンディ・ガルシア ダイアン・ウィースト タイッサ・ファーミガ アリソン・イーストウッド

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